2016年12月26日(月)

続・第32回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」を終えて

〈YOUTUBEにアップしました〉

いつものように、三納さんにビデオの編集をお願いして、YOUTUBEにアップしていただきました。

編集をお願いする段階で、私も何度か編集前の全体ビデオを観て、気がついたところを削除や修正していただくことになるので、何度もメールのやりとりがあって最終的に決定するまでけっこう大変な作業です。

そんな作業のなかで、今回驚いたことがあります。「Eries’ひきがたりアンサンブル」の歌声が素晴らしく良くなっていたことです。パソコンにヘッドフォーンを差し込んで聴いてみるとよくわかります。ほんとに嬉しい驚きでした。これは昨年頃から、ディレクトフォースの合唱団員である、稲垣さんと脇田さん達が参加して下さっていることにも大いに関係があると思います。最初のうちは、合唱団のクラシック調の歌い方と、私が指導している弾き語りメンバーの自然な歌い方の違いがかみ合わずに、少し困った状況になることがありましたが、いつのまにかお互いが歩み寄る形で融合されていたのです。

ほんとに素晴らしいですよ。是非イヤフォーンか、ヘッドフォーンで聴いてみてください。

 

門下生の発表
仲間たちの演奏
2部ミニライブより「君よ知るや南の国」

 

これをもちまして、今年の活動は終わりといたします。

今年もWEB日記をご覧いただきありがとうございました。来年も活動の形は変わりながらも一生懸命活動していきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

それでは皆様、良いお年をお迎えください!

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2016年12月17日(土)

第32回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」を終えて

12月11日、恒例の「枝璃貴子と気のいい仲間たち」クリスマスコンサート&パーティーを無事終えることが出来ました。結論から先に言えば大成功です。昨年から年1回になり、出演者の皆さんの思い入れが少し深まった感もあり、全員良く出来ていたと思います。懇親会も大変盛り上がって楽しい会になりました。

ただ、当日を迎えるにあたっては、いつもながらこの会の準備と当日の役割の多様さは言い表しようもないくらい大変なのですが、それに加えて来られなくなったという連絡が次々と入って、10人以上にもなりました。風邪や怪我など、体調を悪くされた方が多かったです。そんな時に周りの人たちが、だんだんみんな高齢化してきてるから仕方ないというし、それに一番お客様をたくさん呼んでくださっていた、91歳になる琵琶の舩水さんに至っては、「私の周りはもう殆ど亡くなってしまって、生きている人でも病気で来られなくなっている」と言い始めています。そろそろ潮時かな?という思いが頭をよぎりました。

ところがふたを開けてみると、いつも位のお客様は入っていたし、懇親会では皆さんが来年もまたという熱い期待を語ってくださって、そんな思いもすっかり吹っ飛びました。そんなわけで、来年の12月10日、狛江の泉ホール予約しました!12月の日曜日は予約がすぐに埋まるので、急いで問い合わせたところ、10日だけがまだ空いていました。

当日までの顛末を少し紹介しましょう。まずはこのところ、いつも受付を手伝ってくれていた私の従妹の娘Y子からずっと咳が止まらないけどマスクをして頑張って行くから、というメールが入りました。千葉県の東金市に住んでいて仕事もしているし身体が弱いので、無理して来ないように言いました。そこで、受付はどうしようかと考えて思いついたのが、狛江に近い百合が丘に住んでいる友人の山口宥子さんに頼んでみることでした。彼女は元女優をしていた時期があり、俳優の江見俊太郎さんの語り継ぐ会をプロデュースした人です。今手作りのアクセサリーのネットショップ〈プティメゾン・小さなお家ヤフー店 〉を立ち上げたばかりで、私が最初のお客としてネックレスなどを買っていて、「それを身につけて宣伝するから受付やってくれない?」と言ったら喜んで引き受けてくれました。当日品物を持ってきていいかと聞かれたので、いいことにしました。でもそうすると、受付と販売をひとりでは難しいと思って、合奏唱に出演する本田育子さんにサポートを頼んでおきました。思った通り大変で、育子さんが受付を担当してくれてホントに助かりました。

(クリック⇒アルバム)

そして今度は一番弟子として連続参加していた山科さんから、風邪で咳が出るので休むかもしれないというメールが入りました。数日前で、そういう状況は私が何度も経験しているので、声を絶対出さないで心の中で歌いながらギターをしっかり練習して、あとは当日初めて声を出してみるようにと指示をして、当日出来ないならやらなくてもいいから、マスクをして必ず来るようにと喝!を入れました。

当日の出来事としては、支援の会の代表をしておられる山浦さんのお孫さんが来られていて、小学生ですが空手の才能があり、大会で優勝をしていると伺っていたので、山浦さんの演奏後に紹介しました。とても可愛らしいお孫さんでした。私の新曲オリジナル「遠い思い出」を気に入ってくれたとの報告を受けました。

私は今回意欲的にすべて初めての曲を披露しました。高校時代の原点に戻って、クラシックでカッチーニの「アベマリア」やオペラ・ミニョンから「君よ知るや南の国」などを演奏しました。

そして今回、来年の私の活動について大きな転機が訪れたことを皆さんに発表しましたが、それについては次回のWEB日記でご紹介したいと思います。

当日のプログラムはこちらからご覧ください

当日のアルバムはこちらからご覧ください

◇ ◇ ◇

(いつものように出演者された皆さんのビデオ撮影をしましたので、近日中にYOUTUBEにアップの予定です)

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2016年12月6日(火)

「第19回ふれあい酒田総会・懇親会」でミニライブ

 

12月4日、北とぴあ・飛鳥ホールで、「第19回ふれあい酒田総会・懇親会」の催しがありました。
「ふれあい酒田」とは、酒田出身で東京在住の方々の会です。実は私も今までそのような会であることを知らないでいました。酒田西校の同窓会である有煒会にいつも来賓として「ふれあい酒田」の方が出席されていましたが、私はてっきり機関誌というか、新聞のようなものを発行されているのだと思い込んでいました。それが、今年有煒会の前会長さんから、年1回のイベントで歌ってくれるように連絡をいただき、よく状況がわからないままお引き受けをしていました。

当日行ってみると、まずは広場で酒田の物産品の販売をしていて、野外ステージでも催しものがあり賑わっていました。飛鳥ホールは13階にあり、300人〜400人近く入るホールでした。北とぴあは、音楽ホールがいくつもある有名なところですが、リハーサルをした時、マイクの音量を調整してくださるPAの方がすごくレベルが高かったのに驚きました。いつもは、「もう少しああしてください、こうしてください」と言わなければならないことが多いのですが、なんの問題もなくすぐ決まり、本番では会場中にいい感じで響きわたりました。

(クリック⇒拡大)

20分のミニライブで4曲歌いました

「ふれあい酒田」に集まった酒田ゆかりの皆さま

全員で「ふるさと」を合唱

おかげで、ライブが終わってから、たくさんの方々からいい声だったと言っていただきました。

会場内は盛況で、酒田からは副市長さんを初めとして来賓の方々が出席されていました。有名な元大臣の国会議員さんもおられてご挨拶をされました。私は乾杯前20分の持ち時間でしたので、酒田の思い出話を織り込んで4曲程歌わせていただきました。酒田は昔から音楽が盛んなところであることは以前のWEB日記(2014年7月4日「続・故郷はありがたきかな」)に書いていますが、たくさんの音楽家を育てた加藤千恵先生の教えを受けた岸洋子さんは私の先輩にあたるので「夜明けの歌」も歌いました。驚いたことに、加藤千恵先生のお弟子さんがたくさん出席されていて、ひとつのテーブルは岸洋子さんと一緒に習っていた方で埋まっていました。声楽関係のお仕事をされている方が多くて、その方達から誉めていただいたことはとても嬉しいことでした。そして、たくさんの方から「あじさい」がよかったと声をかけていただきました。

年配の方が多かったので、オペラ公演のことや、父の楽器店のこと、共通の懐かしい知人のことなど、いろんな昔話に花が咲きました。最後に加藤千恵門下の先輩が指揮をして、全員で「ふるさと」を歌って閉会となりました。

あらためて、故郷の人たちと関わることの喜びを味わった1日となりました。

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2016年11月23日(水)

コンピューターと人間

 

昨日の朝はテレビの地震警報で目が覚めました。それからずっと、すべてのテレビ局が地震、津波の番組を組み、お昼過ぎまで、まるであの大震災の時と同じ状況になりました。しかも気仙沼や福島、私たちが何度も慰問に訪れた地域が出てくるので、皆さんどうされているかと、ほんとに心配でした。でも、今までのところ大きな被害のニュースは入って来ないので、まずはひと安心。政治家の方々が「もう復興している」と言っているのを聞くたびに反発心を感じていましたが、「ほら!まだまだなんですよ」と言いたくなりました。

話は変わりますが、最近どういうわけか、昔の知人からいろいろ連絡がくるようになり、また交流が始まってきて、嬉しい気分になっています。

そのなかのおひとりSさんから、「歌を作ったのでよかったらコンサートで歌って下さい」と曲を録音したCDが送られてきました。Sさんは10年位前にお目にかかる機会が時々あった方です。カッコ良くて優しい方でしたが、お仕事の関係で遠くに行かれて以来お会いする機会がありませんでした。私の門下の方がきっかけで、私がまだ元気に活動していることを知って、歌を送ってくださったのです。作曲家ではありませんが、趣味で音楽活動をしているようです。今はコンピューターで作曲できる時代です。歌はバーチャルシンガーが存在します。「初音ミク」とかが有名です。コンピューターの声が歌うわけです。


クリプトン初音ミク 公式サイトより

最初送られてきたCDを聴いた時、なんだかとりとめがなく長い感じで、これはコンサートで歌ってもお客さんが眠くなると思いました。それでも譜面を起こして試しに歌ってみると、意外といいかもしれないと思えてきました。人間の声で、言葉の意味に心を込めて歌うと全然違う歌のようになったのです。このところ、将棋やいろんなジャンルで、コンピューターに負けたとかいうニュースがありますが、歌の場合は圧倒的に「人間の勝ち!」だと思います。それで、コンピューター歌手は息継ぎの必要もありませんが、人間として歌いやすくなるように、息づかいが感じられるように、そして言葉が聴いている人に伝わりやすくなるように、私なりに編曲してSさんのところに行って聴いてもらいました。すごく良くなったと拍手をして喜んでくれました。私もこの「祈り歌」がとても好きになったので、12月11日の「枝璃貴子と気のいい仲間たち」で歌うことにしました。

やはり、人工頭脳と人間ではそれぞれ得意分野に違いがありますね。

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2016年11月8日(火)

竹の子文化祭終了

 

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もう2週間以上も経ってしまいましたが、10月23日に竹の子文化祭があり、私が指導に行っているギター弾き語りサークル「円むすび」が参加しました。2007年に、足立区教育委員会・竹ノ塚地域学習センターに指導に行くようになってから毎年出演しています。たくさんのサークルがあるので、2日間にわたって催されます。センター全体には絵や手芸などの作品が展示され、4階ホールでは音楽や舞踊などのサークル発表会があります。

何度か出演した経緯で、その年によって人数が多かった時、少なかった時いろいろありました。多かった時には合奏唱としてまとめるために指揮をして、少ない時には私もメンバーとして一緒に演奏しました。他にクラシックギターのサークルが2団体ありますが、やはり先生が一緒に弾いておられます。今年は出られないメンバーが何人かおられて人数が少なかったので一緒に演奏しました。今回人数が少ないということで、ひとりひとりがご自分の精一杯の力を発揮しようという意気込みで取り組んでくれたので、声が良く出るようになり、ギターもかなり難しい曲があったのですが、とても良い結果を生みだしました。これまでで、一番みんなの心がひとつにまとまって、いい演奏だったと思います。持ち時間は20分で、「少年時代」「ドナ・ドナ」「芭蕉布」「糸」の4曲演奏してもまだ時間が余るので、MCを多めに入れることにしました。私の思いつきでは、メンバーのなかでこの曲はだれか、この曲はだれか、というふうに違う人が話すと演出的に面白いのではないかと思い、そう言ってみたら、全員「絶対無理!それが心配で演奏どころでなくなる!」と大拒絶されたので、仕方なく私が全部MCを入れました。どんなMCを入れようかと演奏曲について調べたところ、大変興味深いことがいろいろと出てきました。

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ミニコンサート

まずは「ドナ・ドナ」、これはジョーン・バエズが歌って世界的に知られましたが、実は第2次世界大戦が始まる頃、1940年代にユダヤ人によって作られた歌だったのです。自由に楽しそうに空を飛び交うツバメと、抗いようのない残酷な運命におかれた牛との対比を描いたものでした。

日本語の訳詞は「売られてゆく子牛」となっていますが、原曲は「おまえは何で牛なんかに生まれてきてしまったんだ?」という内容です。その頃にはもうユダヤ人への迫害が起きていた時代だったからでしょう。

ある晴れた昼下がり 市場に続く道

荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せてゆく  

可愛い子牛 売られてゆくよ

悲しそうな瞳でみているよ

ドナドナドナ ド―ナ 子牛を乗せて

ドナドナドナ ド―ナ 荷馬車が揺れる

 

青い空そよぐ風 ツバメが飛び交う

荷馬車が市場へ 子牛を乗せてゆく

もしも翼があったならば 

楽しい牧場に 帰れるものを

ドナドナドナ ド―ナ 子牛を乗せて

ドナドナドナ ド―ナ 荷馬車が揺れる

それから「芭蕉布」、これはまだ沖縄が返還される前に作られた歌で、沖縄の小学校の先生が作詞をして、沖縄音楽に詳しい方が作曲をされました。NHKの「名曲アルバム」で有名になった曲です。芭蕉布とは芭蕉の茎の繊維で織り上がられた布のことで、琉球王国があった頃には税として上納しなければならなかった歴史があるそうです。1番から3番まで終わりのフレーズが「我した島沖縄(わしたしまうちなー)」私たちは沖縄人であるという歌詞になっていて、アメリカの占領下におかれていた沖縄の人々の気持ちが伝わってきます。

これらのことが間近になってわかったので、MCには慣れている私でも、一言も逃さず淀みなく言うのはちょっと心配でしたから、やはりメンバーの皆さんには無茶振りだったと思いました。

文化祭で私が毎年問題にしてきたことは、舞踊やカラオケはホールじゅう響き渡る大音量で音楽がかけられていますが、器楽の場合、大きなホールでは音量が弱く、マイクの本数が少ないうえにマイクのボリュームを上げるとハウリングが起きるので、格段に音量が弱くなります。私たちはいつもフラダンスの大音量の次だったし、他のギターのサークルの時も客席で聴いていると、急に音が弱くなるので、せっかくいい演奏をしていてもインパクトがなくなり、お客さんは私語が多くなって,よく聴いていない状況になりがちでした。

それで、今回私は意を決して、器楽など音量の弱いサークルと、大音量の舞踊などのサークルを分けてプログラムを考えてほしいと、しつこいくらい要望を出しました。その甲斐があって、今回はハーモニカのサークルの後だったので、お客さんが良く聴いてくださり、いい雰囲気のなかで演奏することが出来ました。

メンバーのみなさんも、大満足の気分で帰ることが出来たと思います。

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2016年10月24日(月)

「合言葉はブルー」のユーチューブ完成

前回のWEB日記(ボブ・ディランノーベル文学賞受賞)のなかで、「合言葉はブルー」をユーチューブに出したい、ということを書きましたが、三納さんが素晴らしい映像を作ってくださって、完成しました。

もう何年も歌っていなくて私が歌っている映像がなかったので、CDの音源を使いました。私の考えではただ、空や海の写真をあしらえばいいと考えていましたが、三納さんは歌詞に沿ったイメージの動画を作ってくださり、感激しました。このように、歌詞の意味が映像で表現されてみると、その意味を解説したいという気持ちがわき上がってきました。本来、歌は聴き手が自由に解釈して感じてくださればいいことです。これまで私の作った歌は意味がわかりやすいことを心がけて作っています。ただひとつ「合言葉はブルー」だけは、ものすごく簡略化することにこだわって作りました。なので、私が込めた思いがどれくらい伝わっていたのか、全然伝わっていなかったかもしれないということも考えられます。それでもいいんです。なんとなくいいなと思ってもらえるだけで充分嬉しいことです。だから説明するなんて野暮なことです。

でもせっかくこんないい映像ができあがったので、この曲が出来たときの思いを少し書かせてください。

ある情報番組を見ていた時に、拉致被害者の方達がブルーのリボンに込めた思いを語っておられました。どこまでもつながっているこの青い空の下で、拉致されたご家族がきっと生きているという考えから、ブルーのリボンにされたということでした。それを聞いた瞬間「ブルー空の色 ブルー海の色」のフレーズがメロディと共に頭に浮かび、あとは次から次へ浮かんできて、この歌が出来上がりました。だからといって、拉致問題の歌ではありません。そのことも含まれてはいますが、もっと広く深い意味を込めました。

空は無色透明です。海も無色透明です。それなのに青く見えます。それならば、無色透明なもの、目に見えないすべてのものが青い空のもとにあっては青く染まる筈だというふうに思いました。目にみえないものとは「命」です。生命体である、花、木、動物、虫、鳥はいろんな色をしています。それでもそれらが宿している「命」は目に見えません。人間も肌の色が違ったりします。でもその「命」は目に見えない無色透明です。そのすべてが青い空のもとではブルーに染まる平等な存在であるというメッセージです。それなのに、権力争いや、まして戦争をするなんて、どういうことでしょうか?

是非完成したユーチューブを観てくださいね。よろしくお願いします。

 

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2016年10月16日(日)

ボブ・ディラン「ノーベル文学賞」受賞

最初ニュースを見た時、「えっ! ボブ・ディランが小説書いたの?」と思いました。ところが、これまで作った歌の詩に対する功績ということがわかり、なんて素晴らしいことだろうと素直に歓喜しました。

様々な社会問題に投げかけたメッセージソングを世界中に広めた方ですよね。ただ、「文学賞」をどう捉えるかによって、賛否両論があるようです。ボブ・ディランは今のところなにもコメントを出していませんが、是非受賞を受けてほしいなと思います。多くのシンガーソングライターの誇りにかけても。

私がソングセラピストになったのも、ただ言葉だけよりも、言葉を音楽にして伝えれば、言葉の力が増すという考えからです。それは間違っていなかったと証明されたような喜びを感じています。

歌の詩は、一般の詩とは違う要素があります。言葉とリズムとメロディーが一体化できるように作るので、 言葉をかなりそぎ落として単純化させ、短い言葉の中に深く大きな意味を持たせることが大事だと私は思っています。世界中でヒットした歌はたいていその様な歌が多いのではないでしょうか。

もう10年位前になるでしょうか。そんな歌を作りたいと思って、子供にもわかる単純な歌詞にして作った「合言葉はブルー」という歌があります。すごく単純な言葉のなかに、「般若心経」くらいの意味を込めて作りました。自分の中では一番「良く作れたものだ」と思っている歌です。でも大震災が起きてから、歌う必要のある歌を選んで歌っていたので、全然歌わなくなっていました。それなので、You Tube に出していません。ボブ・ディランは75歳で素晴らしい評価を受けることが出来ましたが、私は占いによると、死後に評価されるということらしいので、一応生きているうちに You Tube に残しておこうと思いたち、三納さんに頼んで、CDから You Tube にアップしていただくことにしました。これから三納さんが画像を作る作業にはいりますのでちょっと日数がかかりますが、どんなイメージに仕上がるのか楽しみです。

出来上がったら是非観てくださいね。

「合言葉はブルー」

  1. ブルー 空の色 ブルー 海の色
    ブルー 涙の色 ブルー 祈りの色
    青い空におおわれた 青い地球の上で
    すべての生命(いのち) 青く染まり みんなひとつに 繋がれ
    ブルー 分かち合う ブルー 生命(いのち)の色
    合言葉はブルー合言葉はブルー

  2. ブルー 空の色 ブルー 海の色
    ブルー 風の色 ブルー 希望の色
    青い風に乗せてゆく たったひとつの願い
    世界中が青く染まり みんなひとつに繋がれ
    ブルー いつまでも ブルー 永遠(とわ)の色
    合言葉はブルー 合言葉はブルー
    合言葉はブルー 合言葉はブルー(繰り返し)

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2016年9月30日(金)

続・長野県いのちの森「 水輪 ( すいりん ) 」へ

9月24日、25日に「水輪」に行ってきました。ところが折り悪く、9月10日に腰を痛めて3日間位動けない状態になってしまいました。その後の治り方も遅々として出かけるのも困難だったので、病院に行くこともできないでいましたが、ようやく20日に行ったところ、骨がずれていて軽いぎっくり腰だったことがわかりました。そんなわけで、長野には杖をついて行き、慣れないので時々杖を足で蹴っ飛ばして転びそうになったりして笑われました。でも、幡野さんの車で行ったので、そんなに歩かなくてもよくて助かりました。みんなが戸隠神社など階段の多いところを見物しているときは車の中で待っていました。

出かける2日前に、「水輪」を主催されている塩沢みどりさんを紹介して下さったB・順子さんから、24日の食事の後、研修生達に向けたミニコンサートをさせていただく許可を得たという連絡が入っていましたので、車の中で何の曲をどう組み立ててやるかをゆっくり考えることができました。

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早穂理庵入口

森の中の「水輪」に到着すると、女性スタッフのKさんがにこやかに出迎え、「水輪」滞在にあたっての様々な注意や案内をしてくださいました。ミニコンサートはどのような催しなのか、直前までよくわかりませんでしたが、先に私がミニコンサートとして6曲弾き語りをして、それから研修生たちの「ソーラン節」の踊りがあり、その後「水輪」で歌の才能を認められているY君がアカペラで3曲歌うという形になりました。研修生というのは、様々な悩みなどを抱えて「水輪」に来て学んでいる若者達だそうです。「ソーラン節」の踊りは、想像と違ってテンポの速い歌に合わせて、10人位の若者たちが力強く切れのいいダンスを踊ってくれました。エネルギーに溢れとてもカッコ良かったかです。ちょっと、一世風靡セピア(古い?)のような感じです。Y君は「もののけ姫」と「千の風になって」と塩沢みどりさん作詞の歌を歌いました。普通の歌い方とは違って、すごくゆっくりと宇宙と繋がって歌っているような感じの歌でした。

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ミニコンサート

ソーラン節

夕方になって、「水輪」の主人公である早穂理さんの熱が高いということで、塩沢みどりさんは来られなくなり、ご主人の研一さんが同席して下さいました。研一さんはみどりさんと二人三脚で「水輪」を作って来られた方で、添加物のない食品を使って、「水輪」の料理を一手に引き受けておられます。「水輪」の畑の野菜を使ったお料理や、珍しい酵素玄米のご飯など、たくさんのご馳走をいただくことが出来ました。そのせいか、「水輪」から帰った翌日は、腰が治ったように痛みが少ししか感じなくてびっくりでしたが、次の日からはまたそれなりの痛みが戻ってきました。研一さんはミニコンサートを「すごくよかったよ!」と背中をドンと叩いて下さって、私たち一行と夜更けまでいろんなお話をしてくださいました。

 翌日朝食の後、昨晩研修生たちの司会と「ソーラン節」の中心になって踊っていたI君が畑の案内をしてくれました。私はあんまり踊りが上手かったので、すっかりI君のファンになり、ツーショットで写真を撮りました。とても良く写っていましたよ。それから、スタッフの方から気功の手ほどきを受けたり、様々な場所を案内していただきました。

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畑の見学

前列 道子さん 私、順子さん 
後列 本田 近藤さん

そして帰る支度をしているとき、スタッフのKさんが「希望欄にみどりさんとお話したいと書いてありましたが、どうされますか?」と聞かれました。私は本の中で、早穂理さんが熱を出すと命にかかわるような大変な状況になることを読んでいたので、「大変な時ですから、お会いしなくていいです」と答えました。それから間もなくして、「みどりさんが来るように言っています」とKさんから呼ばれて、思いがけないことで緊張しながら「早穂理庵」に入りました。部屋に通されると、中央にいろいろなものが置かれた部屋全体を占める程の大きなテーブルの奥にみどりさんが座っておられました。廊下では、研一さんやスタッフの方が慌ただしく動いている様子が感じられました。なんだか、本に書いてあるからといって気安く「みどりさん」なんて呼んでいたのがまずかったと思うくらいすごい大きな存在感で、にこやかに招き入れてくださいました。私のミニコンサートを昨晩モニターで同時に観ておられたのだそうです。みどりさんは「意識カウンセラー」と書かれてありますが、まるで私はカウンセリングを受けている状態になりました。私が今どんな希望や悩みを持っているかとか、丁寧に聞いてくださって、まるで霊感があるのではないかと思うくらいいろんなことを言い当てました。次の面会希望の方達が来られたので、話は中断の形になってしまいましたが、1週間くらい「水輪」に滞在して大自然を細胞すべてに沁み渡らせることが、今の私に必要だというアドバイスを受けました。

私は子供の頃から商店街など町の中で育って自然との関わりが少なかったので、きっとそうなんだと思い、頑張ってみようという気持ちになりました。これからカウンセラー的なこともしていこうと思っている私にとっては大変勉強にもなりました。

このような貴重な体験が出来たのも、すべて近藤さんのおかげです。ずっと運転して下さった幡野さん、そして何かと気遣って下さった道子さん、ありがとうございました。

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2016年9月13日(火)

長野県のいのちの森「水輪」へ

9月24,25日は、例年通り気仙沼でセラピーコンサートを行うつもりでいました。ところが、気仙沼の皆さんと連絡をとってみると、9月から4月にかけて強制的に仮設から出なければならなくなり、出ようとしている人たちは浮足立っている状態にあり、行き場のない人たちは引きこもって全然出て来ないという状況に陥っていることがわかりました。そんな時はコンサートどころではないと考えて、気仙沼行きを中止しました。今、小池百合子さんが都知事になられて、いろんな問題が噴出して来ていますが、当たり前のように出てくる金額が何百億円とか、何兆円とかいう数字です。それを見るたびに、どうして被災された方達に住まいを用意してあげられないのだろうかと残念でなりません。

ちょうど、気仙沼行きを中止した頃に、近藤さんから思いもよらないお誘いがありました。先日近藤さんの二人展に、お知り合いのボウミック・順子さんという方が来てくださって、その関係から長野県のいのちの森「水輪(すいりん)」の話題に繋がったということでした。「水輪」とは、瞑想や音楽会など、様々な催しが出来る宿泊施設のようです。私自身まだ詳しい状況はわかっていないので、興味を持たれた方はホームページなどをご覧ください。とにかく行ってみようということになり、気仙沼に行く予定だった24,25日に行くことになりました。今回気仙沼には、岡山旅行でご一緒した幡野さんご夫妻の車で行くことになっていましたが、急きょ行き先変更という形で、幡野さんの車で奥様の道子さん、近藤さん、本田と私の5人で行って来ます。

その前に「水輪」を主宰されている塩沢みどりさんが出版された本を読んで行った方がいいと、近藤さんが本を送ってくれました。「早穂理。ひとしずくの愛」と「ナナカマドの咲く頃。」の2冊です。早穂理さんとは、出産のとき病院の失敗で重い脳障害を持って生まれた塩沢みどりさんのお嬢さんです。その早穂理さんを育てる過程での様々な苦しみの中から多くの学びや悟りを得て、人々が集まる「いのちの森・水輪」が出来上がったことが書かれています。子供を亡くしている私には、とても共感できることが多い内容でした。そこまで赤裸々に告白できるのかという驚きもありました。当時の私の思いと重なることも多く、私は未だ子供が亡くなった時の場面、亡くしてから2,3年の私の心の状態を周囲に話すことが出来ないでいることが、まだまだだなあ‥‥。と思わざるを得ません。なにしろ、みどりさんは何もかもスケールが大きく、素晴らしいです。

みどりさんにお会いできるのかどうか、今の段階ではわかりませんが、まずは行ってみることに意義があると思っています。

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2016年8月27日(土)

絵画二人展

私のWEB日記には何度も登場していますが、支援の会の事務局を担当して下さっている近藤征治さんが、8月8日から8月14日までの7日間「にいざほっとぷらざ」で、友人の小西久雄さんと一緒に「絵画二人展」を開催されました。

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私が気に入っている絵が並んでいるコーナー

展示会場の様子

近藤さんはこれまで「三軌展」初め数々の絵画展に出展されてきました。子供の頃から絵筆をとり、建設関係の仕事をしつつ様々な人たちとの出会いを経て本格的に絵を描き始めたのは、平成3年頃からだそうです(詳しくはこちらをご覧ください)。こうして75歳で個展を開かれるまでに至ったことは、ほんとに素晴らしいことだと思います。

初日に展示する作業も親しい方達の手で行われました。本田もお手伝いに伺い、私もオープン少し前に行って、そんな様子を見ていたので一層感慨深いです。作品が一斉に並べられると、それはそれは見事な展示会場となりました。そして、全体的に赤の色彩が際立って、いつもは温厚でやさしい近藤さんですが、驚くほどの情熱的なパッションが伝わってきました。このあとは故郷の九州でも個展を開催することになっているそうです。

近藤さんが絵を描くようになったのは、詩人の故松永伍一さんの影響だそうです。

それから、特別コーナーとして、詩人の故「松永伍一コーナー」(プロフィールはこちら)が設けられました。

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松永伍一先生の作品コーナー

松永先生は詩人になられる前、九州柳川の花宗中学の先生をされていたことがあり、近藤さんと、支援の会代表の山浦さんはその教え子にあたります。私も生前の松永先生にはコンサートのゲストにとして出演していただいたり、いろいろとお世話になりました。そのご縁で皆さんと出会って、現在の活動に繋がっています。私の仲間たちも駆けつけてくれました。私もなんだか誇りに思いました。展示されているうちの2点は私と関わりがある作品で、「水たまり」は私がコンサートでアカペラで歌った作者不詳の歌からインスピレーションを感じて描かれたもので、「余白のひびき」は、私が音楽家ユニオンのコンサートに出演した折に、ピアノ演奏のステージを観たときの印象を描かれたものです。両方ともハガキになっています。

(近藤さんの出展作品の一部 クリック⇒拡大)

「水たまり」100号

「余白のひびき」100号

話は6月に遡りますが、同じ「にいざほっとぷらざ」で「14回新座美術協会展」が開かれたのですが、近藤さんと、現代美術作家の西尾路子さんが出展されたので観に行きました。5月31日のWEB日記に書いていますが、5月の「三軌展」に行った時に、西尾さんが今度出展される作品は「紫陽花のような美しいもの」とおっしゃっていたので、楽しみにして行きました。どんなものか全く想像がつきませんでしたが、とても素敵な作品で、感動しましたのでご紹介しておきたいと思います。

平面はパズルのようにはめ込まれていて、それが立体になると椅子になるというものです。私も、壊れないかとハラハラしながら、ちょっと座らせていただきました。西尾さんの作品は独自で切り開いて作り上げてきたものなので、いろんなご苦労があったようです。

(クリック⇒拡大)

現代美術作家の西尾路子さんの作品(左:平面)(右:立体)

作品に 座らせて
いただきました

今は昔と比べれば男女平等の世界と思われていますが、やはり女性が成功するまでには男社会の洗礼を受けるものです。私もいろいろと経験しているので、その話で盛り上がりました。都知事選の時の小池百合子さんに対する、反対派政治家達の態度で垣間見られたと思います。もちろん、味方になってくれる男性はこの上もなく優しく、頼もしい存在であることは言うまでもありません。

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2016年8月16日(火)

第1回門下生発表会を終えて

8月7日は第1回門下生発表会でした。これを実施するにあたっては、私なりの考えがありました。それは、昨年から「枝璃貴子と気のいい仲間たち」をこれまでの年2回から12月だけの年1回に切り替えました。そして迎えた昨年の12月の「枝璃貴子と気のいい仲間たち」の時、門下生の人たちが、これまでになくすごく緊張していて力を発揮できない状況になりました。それは夏の「気のいい仲間たち」がなかったことが原因だとすぐに思い当たりました。ゲストの方達は他にも演奏活動をしていて、いつもと変わらなかったので、はっきりと明暗が分かれた形になりました。そこで、やはり門下生は年にもう1回、発表の場が必要だと思いました。「気のいい仲間たち」を年1回にした理由が、事前の準備があまりにも大変で疲れ果てたことでした。そこで考えたことは、いっそ発表会はすべて門下生の方達に任せて、私はお客さん的な立場になってみようということでした。門下生の方にとっても自主的に関わることはいい経験にもなるのではないかと思いました。

そこで、山浦さんと山科さんにお願いして、すべてをお任せすることにしました。とは言っても、相談には乗りましたし、最終チェックもしました。他の門下生の方達の連絡係も当然ながら私の役目でした。そして今回は12月の「気のいい仲間たち」のためのリハーサル的な目的なので、門下生だけでひっそりやるということになりました。それなのでお客様に声かけはしませんでしたが、当日は何人かのお客様が来てくださって、なんか予想外に賑やかな雰囲気になりました。

(写真クリック⇒拡大)
門下生発表会

トップパッタ—は「円むすびの合唱奏」

私の飛び入り演奏

残念だったのは、山科さんが職場の都合で出演できなくなくなったことでした。そして長谷川さんと竹内正旭さんも都合で不参加になりました。それでも3人欠場を感じさせない雰囲気で会を進めることが出来たことはありがたいことでした。それは出演者の皆さんが発表会のためにとても頑張ってくれた賜物と思います。全員成功という結果に終わりました!私も時間があり余っているので、4曲歌いました。懇親会は和気あいあいで、楽しいひとときとなりました。ただ、私のスマホで写真を撮ってもらったら、使い慣れなかったのか、ひとりひとりの演奏が全部すごいピンボケになってしまいました。

今回終わってみて、ひっそりやるなんて、もったいないと思いました。来年からはお客様にきていただいてもいいと思います。皆さんと相談してみることにしましょう。

また、長年レッスンに来られている方は、ささやかでも自分の会を開くという目標を持っていただきたいと思っています。高いレベルに持っていこうとして、私のレッスンはちょっと口うるさいかもしれませんが、それだけに皆さんには腕前に自信を持っていただきたいし、目標を持つ喜びを感じてほしいと思います。私にできる事ならなんでも、喜んで協力するつもりです。

当日のプログラムもご覧下さい

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「チョイワルおやじ」結成ライブ

竹内正旭さんの演奏

ゲストの私

そんな話の流れで、6月26日に行われた、竹内正旭さんの「チョイワルおやじクラブ結成ライブ」の話に触れておきましょう。横浜の「本牧ハローカフェ」のマスターが竹内さんの高校の同級生ということで、ライブをすることになりました。竹内さんは10年前、私のところへレッスンに通っていた時期があります。その当時も自分なりに無料コンサートなどをしていましたが、難しい曲などを習いに来ていました。ところが会社のことで大きな事情が出来て辞められて以来音沙汰がありませんでしたが、私の4月のコンサートに来てくれて10年ぶりに再会しました。それから早速お酒持参で家にきてくれて、それまでのことやいろんな話になり、6月のライブに私がゲストで出ることになったわけです。ライブの当日は竹内さんの思惑通りの展開にはならなかったことが多々ありましたので、相当ガッカリしているのではないかと思っていたら、先日また違う場所でやることにしたという電話があったので、立ち直りが早いことと、積極的実行力には素晴らしいものがあると感心するばかりです。私たちも少し見習う必要があるかもしれませんね。

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2016年7月31日(日)

ソングセラピストのプロモーションDVD制作

ソングセラピストとして活動するにあたって、プロモーションDVDを作ったらどうかという提案をいただき、7月上旬から準備を進めてきましたが、ようやく昨日データが完成して、YOUTUBEにアップすることができました。これからDVD制作の原稿作りに入るところです。

提案して下さった三納さんは、これまでもご紹介していますが、ホームページ全般を作っていただいている他に、コンサートのポスター・チラシなどの制作及び、ビデオ撮影、編集など多岐にわたって協力して下さっています。

7月4日に吉祥寺に来ていただいて、細かい打ち合わせと資料などをお渡ししました。そして、28日に出来上がったとの連絡をいただき、29日に川崎の三納さん宅に伺い、お互いに気が付いた部分をいろいろ修正して、最終的に昨日完成という運びとなりました。10分位の作品ですが、私が当初想像すらできなかった、素晴らしいものになりました。なんといっても、三納さんの企画力と高い技術力のおかげです。

そして、私が音楽業界の商業ベースの方向ではなく、本田と2人で純粋系の草の根運動的なコンサートを始めた当時に、チラシなども竹久夢二のような抒情的なものにしようと、本田が版画作りを頑張っていた頃のものや、イラストをたくさん取り入れました。そして、万華鏡作家の羽石茂・泉ご夫妻の万華鏡をたくさん使わせていただきました。快く承諾してくださいました。そして5月に岡山で幡野さんに撮っていただいた写真もとてもいい効果を果たしています。なんだか、今までの私の活動の集大成のような感じになりました。ほんとに嬉しいです。

これで満足してしまうのではなく、これからが私の頑張りどころです。皆さん、是非いろんな方々に観ていただけるように、声かけをお願いしますね。よろしくお願いいたします。

8月7日は、第1回の門下生発表会があります。門下生が中心になって、実施することになりました。

詳しくはライブ情報をご覧ください。

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2016年7月17日(日)

「新座のセラピーコンサート」からの広がり

6月の新座のコンサートの翌日、酒田西校の同窓会である東京有煒会がありました。毎年盛大に行われます。私も何度かミニコンサートを頼まれて演奏していますが、今回はジャズ歌手の方が伴奏のギターリストとおふたりで出演されました。その時に、西校の新校歌の作詞をされている高瀬先生が、恩師として酒田から出席されてましたが、「ふるさと」の歌詞の3番の替え唄を作られたということで、ジャズ歌手の方が歌われました。東京で暮らしている卒業生に向けたエールの歌詞で、私は聴いてすぐに、これは被災地などのコンサートにも向いていると思いました。早速、歌詞を教えていただいて、高瀬先生に「被災地などで歌わせていただきます」と申し上げましたところ、快く了解をいただきました。

7月16日には、新座のセラピーコンサートに来てくださっていた、東松島出身の福地さんのお誘いで、「在京東松島会」に出席しました。もし気仙沼に行かれる折には東松島でもセラピーコンサートをと言っていただいているので、本田、山浦さん、近藤さんと4人で伺い、東松島から来られた市長さん、市会議員の方々にご挨拶をしてきました。「在京東松島会」の皆さんに紹介して下さることになっていましたので、私は挨拶代りに「ふるさと」の替え唄をアカペラで歌うことにして、歌詞の中の「酒田」を「宮城」に変えて、心を込めて歌ってきました。歌詞をご紹介しましょう。

厳しき世にありても  心直し酒田っ子

有煒の桜かざして   微笑みつつ進まん
  (繰り返し)    共に共に 歩まん

*「有煒」とは、「輝いている」というような意味です。

また、6月27日には、やはり新座のコンサートを聴きに来てくださっていた、和光市の社会福祉協議会のボランティアセンター長から、セラピーコンサートをする場合の条件などを問い合わせがありましたので、本田と近藤さんと3人で伺い、詳しいお話をしてきました。センター長さんは熊本の出身だそうで、「熊本も行っていただけるんですか?」と聞かれたので「行きます!」と答えました。

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在京東松島会総会の様子

挨拶代りに「ふるさと」の替え唄を歌いました

南相馬の藤島さんからは、いつもコンサートを主催されている小高区のお寺があるので、もし来られる場合には紹介します、と言っていただいています。

これから皆さんと相談のうえ、秋の日程を組みたいと考えているところです。

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2016年7月3日(日)

「緑の風に」

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「緑の中で」
「緑の中で」

話は6月初旬にさかのぼりますが、4,5,6、日と2泊3日で岡山に行ってきました。本田が40年ほど前に岡山から吉祥寺に来て以来、お世話になった幡野さんご夫妻と、長年の約束である岡山の案内を果たすための旅行でした。しかも、岡山には「空気が緑になる場所がある」と言う期待を持たせ続けた約束でもありました。私が「緑の風に」という歌を作った当時にも、私や周りの人たちにそう言っていたので、緑の空気を見てみたい人が何人かいます。

4月のコンサートで一般向けのコンサートから退いた私は、なんだか鎧兜を脱いだような開放感と安堵感があって、11日に新座のセラピーコンサートがあることも、さほど気になりませんでした。それまでだったら、旅行に行ったら疲れるとか、風邪をひいたら大変というような不安でいっぱいになるところでしたが、セラピーコンサートは「美しい声」を期待されていないという気楽さがありました。

4日早朝に新幹線に乗り、岡山駅に着くとレンタカーを借り、幡野さんが3日間運転をするということで、すぐに車で観光です。1日目は瀬戸大橋を渡り、丸亀で有名なうどんを食べたりしました。

1日目の宿泊先である湯原温泉に向かう途中小雨が降ってきて、梅雨入りしたとの情報が入ってきました。でも、私は強力な晴れ女で、私が車から降り立つと雨が止むほどであると、豪語していました。宿に着いたその夜から朝出発の頃は雨が降っていました。私の神通力もこれまでかと思われながら、本田の生まれ育った大山などの山々を見たりして、いよいよ緑の空気が見られる場所に向かいました。緑の空気になるのは5月の新緑の頃なので、今回はそれを見るのは無理だということでしたが、その林の中に入って緑の木々を眺めて、みんな満足することができました。

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因幡のうさぎさん(枝璃スマホ)
因幡のうさぎさん
(枝璃スマホ)

それからまた車に乗る頃にはすっかり晴れあがって、すごくいいお天気になりました。やっぱりすごい神通力だと認められながら、両側が林になっている道路を走っているときに、急に霧が発生しました。なにげなく窓から林を見ると、なんと!空気が緑に見えたのです。一瞬のことだったので、気のせいかと思って黙っていました。すると、また緑に見えたので「緑になっている!」と言いました。奥さまの道子さんも「ホントだ!」と言ったので、それは確かなことでした。でも残念ながら幡野さんは霧の中、必死に運転していたので見ることはできませんでした。きっと、霧が木々の緑の色に染まったのではないでしょうか。

2日目はラジウム温泉に泊まり、3日目は鳥取県の境港に行きました。因幡の白ウサギの神社を見たり、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるロードを見物したりして、夕方の新幹線で帰途に着きました。幡野さんは写真を撮られるのが趣味で、たくさん写真を送ってくださいました。コンサートの時にもこれまで、いい写真をたくさん撮っていただいていて、ホームページに使っている写真の大半が幡野さんの写真です。今回は緑の中の写真がお気に入りの写真になりました。因幡の白ウサギの神社で、うさぎさんのお尻があまりにも可愛かったので、私もスマホで写真を撮りました。体長1.6メートルの大山椒魚(おおさんしょううお)も見たし、いちばん楽しみにしていたジャージー牛乳のソフトクリームを食べることも出来たし、他にも書ききれないことがたくさんありました。仕事以外の旅行なんて、何十年ぶりでしたが、予想以上に楽しむことが出来て、命の洗濯ができた感じです。

それ以来、なんだか気持が大きくなったような気がしています。

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幡野さんご夫妻と

水木しげるさんと一緒に

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2016年6月14日(火)

新座さいがいつながりカフェ主催の
  「枝璃貴子セラピーコンサート」を終えて

6月11日、福島から避難されている方達のために、枝璃貴子セラピーコンサートをさせていただきました。

4月のムーブ町屋のコンサートを最後に、これからはソングセラピストして活動をしていくことを皆さまにお伝えしましたが、その第1回のセラピーコンサートとなります。

これまでも自分の心づもりとしては、被災地などでセラピーコンサートをしてきましたが、コンサートのお知らせの段階からソングセラピストを名乗って、セラピーコンサートという名目で実施したのは初めてです。

今までは聴き手が普通のコンサートという認識で聴きに来られるので、MC(曲の合間のお話)をいかに短く内容を濃くすることができるかと苦心していました。でも今回は初めから「セラピーコンサート」という名目なので、今までになく思う存分お話を入れることにしていました。会場も、新座市栄公民館の研究室を事前に見に行った時、中途半端にコンサート会場っぽい感じではなくて気に入っていました。

当日、紹介してくださった近藤さんと、支援の会代表の山浦さんと、被災地のボランティア活動のきっかけを作ってくださった田原さんと、私と本田の5人で会場に入りました。集まって来られた皆さんはとても明るい雰囲気で、震災ネットワークで世話人をされておられる方々のご努力が行きとどいている様子が伺われました。

もちろん、5年経ってもどうしたらいいかわからなくて皆さんが悩んでおられることは、世話人をされている谷森さんからいろいろと聞いていましたから、心のうちは大変であろうということは察せられます。

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セラピーコンサート

じっくりとお話中

懇親会

時間は、1:30から3:00までがコンサート、その後4:30まで懇親会です。1時間半で10曲歌うことにしたので、MCの時間はたっぷりありました。マイクなしで皆さんのお顔を真近に見ながらお話ができるし、皆さんの方でも気楽に受け応えできるような雰囲気だったので、私としても今までで一番いろんなお話が出来て、思うようなセラピーコンサートをすることが出来ました。皆さまからも、私自身の体験を通した歌なので、言葉がすごく心に入ってきたと、喜んでいただくことができました。一番前で聴いておられた方が、オリジナルの「心の花」をとても感動してくださって「一生忘れない」と言っていただいたことが、一番嬉しかったです。

 懇親会は全員ひとりひとりが自己紹介、今置かれている状況などをお話されました。避難されている方達は、国家公務員宿舎に住んでおられますが、来年3月に避難区域が解除されるために、退去しなければならなくなったそうです。退去と言われても、すぐに住める家があるわけでもなく、病院や商店など環境も整っていない状況です。それは以前にも書きましたが、南相馬の仮設の方達の悩みと同じようなことでした。ある方はご主人の故郷の熊本にと考えていたら、大地震になってしまったり、ある方は、もう80歳でひとりなので全く行くあてがないとのことで、ご本人たちの肉声で聞いていると、大変さがひしひしと伝わってきました。福島の復興住宅は抽選ということで、今まで一緒に頑張ってきた仲間同士で、抽選に当選した人が出たりした場合、難しい問題も出てくるようです。それにしても、政治家はもっと真剣に取り組んでいただきたいと思うばかりです。和光市の社会福祉協議会の方と、和光市に避難されている方達もみえていました。いろんな地区に避難されているんですね。

「頑張ってください」というのは良くない、ということが定説のようになっていますが、「それでも、1日1日できることをしながら、その積み重ねでいい状況に変わっていくことを信じて頑張りましょう」と最後にご挨拶をして終了しました。

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2016年5月31日(火)

三軌展

5月16日、国立新美術館で開催されている三軌展に行ってきました。支援の会の事務局をしてくださっている近藤征治さんが絵を出展されていたからです。近藤さんはもうずっと毎年出展されていて、2013年の時には入賞されています。その時のことは2013年の5月21日のWEB日記「絵画展」に詳しく書いてあります。今年は「シェルパ族とマチャプチュレ」という絵です。2年前は、私がライブで「水たまり」という作者不詳の歌をアカペラで歌った時に、インスピレーションを感じて描かれた「水たまり」という絵でした。とても美しい色調ですごく好きです。

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「水たまり」100号

「シェルパ族とマチャプチュレ」

今回は美術館に行く前に、珍しい顔ぶれの方々とご一緒にお食事をするということになりました。
現代美術作家の西尾路子さんご夫妻と田原さんはコンサートにも来てくださったり、親しくさせていただいていますが、初めての方がおふたり来られるということで、楽しみにしておりました。以前に近藤さんからすごい女性がおられるというお話を伺っていましたが、滋賀県在住の北野玲子さんという方で、ようやくお会いすることが出来ました。なにがすごいかというと、80歳代なのに、世界各国の海でスキューバーダイビングをされているということでした。そのお話を聞いて抱いていたイメージは、世界を旅するジャーナリスト、兼高かおるさんのような女傑という感じです。ところがお会いしてみると、小柄で笑顔や話し方が可愛らしいとても親しみやすい感じの方でした。でも、お話の内容は驚くばかりのスケールの大きいもので、大きな鮫と一緒に泳いだり、珍しい魚を撮影した海のDVDも作られているそうです。バイオリンも、あるバイオリニストから受け継いだ名器を使って20年習っておられて、音楽にも造詣が深いご様子でした。DVDのバックミュージックにもすごくこだわりをお持ちのようです。その上なんと、競泳では毎年お台場の大会に出場されています。そしてもうひと方の佐藤三郎さんは、北野さんと同年輩位で、NHKのお仕事を長年されておられた方です。人形劇やドラマなどの美術関係などを担当されていました。なんといってもびっくりしたのは、私がいつも見ていた子供番組の「ブーフーウ―」の着ぐるみや人形を作られた方だったのです。また、ステンドグラスの制作者でもあります。おふたりとも、ほんとに素晴らしい人生ですね。

食事の後タクシーに分乗して美術館に向かいました。私が乗ったタクシーは女性の運転手さんで、選んだ道が混んでいて失敗したとこぼしていましたが、蜷川さんの告別式だからということがわかりました。その時、目の前の信号の歩道を男性が数人歩いて行きましたが、運転手さんが「あっ、小栗旬だ!」と興奮気味に言ったので、見ると小栗旬さんと藤原達也さんがいました。私も「わ―、顔が小さい!細い!」と興奮して騒いだので、近藤さんと本田がすごく呆れていました。

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2016年5月16日(月)

コンサート後の作業も忙しい

コンサートが終わってもう3週間以上経ちましたが、コンサートの後作業がまだ終わっていません。たくさんの方に不義理をしていると思うと、早くしなければと焦って気が重い毎日です。今月中にはなんとかなるでしょう。一方では同時進行で、これからのソングセラピーの活動のほうも進んできています。

5月2日は、ハーモニカでゲスト出演して下さった竹内克好さんに吉祥寺に来ていただき、一緒にお食事をすることが出来ました。初めてお目にかかってからもう20年位も経つと言うのに、そんな機会がなかったことが今思うと不思議なことです。「枝璃貴子と気のいい仲間たち」に毎回欠かさず出演していただいていたので、安心していたのかもしれません。出会った時は埼玉県の教育長さんであることと、何年後かに叙勲を授かったことは存じていましたが、あまり深く詮索しない性格の私は、そういうことを呑気に受け止めていただけでした。

以前にも短いプロフィールを書いていただいたことはありましたが、ハーモニカのことしか書かれていませんでした。今回メールで、私がソングセラピストとしてスタートするということをお知らせした時に、「私は大学で心理学を専攻していました」と書いてあったので軽く驚きました。そして、今回のプロフィールは詳しく書いてくださいとお願いしましたところ、東大の心理学科卒(カウンセリング専攻)と書いてあったのでびっくりしました。竹内さんはハーモニカ以外のことで、ご自分の名誉なことは全然お話されない方ですが、それにしてもされなさすぎでしょう!あとで伺ったことによると、日本の高名な心理学者に師事されたり、ご自身が心理学の権威という存在のようです。きっと叙勲を受けられたのはその関係だと思います。

ところで、どうして私と本田が3人でのお食事にお誘いしたかといえば、一昨年喪中ハガキに息子さんを亡くされたと記載されていましたが、コンサートの第1部を聴いて「身につまされた」とおっしゃったので、やはりすごく寂しい思いをされているのではないかと心配になったからです。

でも吉祥寺ではそんな話は全然しないで、ハーモニカ横丁を見物したり、食事中ももっぱら昔の話や、心理学のお話をして、とても楽しいひと時を過ごすことができました。

そして、私のソングセラピーは絶対に需要があると、私たちには思いもつかなかったソングセラピーの仕事に対するアドバイスをいろいろしてくださって、いろんな資料もいただきました。これからも相談にのっていただこうと思います。  

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それから、かねてより近藤さんから、新座に福島から避難している方がたくさんおられて、ネットワークがあるということを伺っていましたが、6月11日に「新座さいがいつながりカフェ(右のチラシ)」の活動の中で「セラピーコンサート」をすることになりました。5日に世話人をされている谷森櫻子さんにお会いするために新座に行ってきました。近藤さんが車で出迎えてくださって、コンサートをする公民館に行きました。谷森さんからいろいろお話を伺いましたが、避難されておられる皆さんも、とても大変な状況にあることを知ることができました。

帰りは近藤さん宅に立ち寄ることになり、これまでご挨拶程度だった奥様とも親しくお話をさせていただきました。奥様はいつも私のWEB日記を誉めてくださる感性にあふれた素敵な方で、またお会いするのが楽しみです。

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2016年5月2日(月)

ムーブ町屋のコンサートを終えて

4月22日、無事コンサートが終わりました。一番心配だったお客様の人数も、目標に近い数となり、コンサート終了後はたくさんの方達から「良かった!」と言っていただき、大満足の表情で帰っていただくことができました。

今回第1部では、これからセラピーコンサートの活動をしていくことの説明とご案内のような内容で8曲歌い、第2部ではこれまでの仲間達と楽しく過ごす、という構成でした。ところが思いがけず、コンサート全体がセラピーコンサートになっていたと、たくさんの方達から言われました。そして、「過去・現在・未来、があった」と言って下さった方もおられます。このように自分の意図をはるかに超えた受け止め方をされたのは初めてと言っていいです。そういう意味では、「これまで努力してきたことが無意識のうちに集約されたんだな」という思いに至っています。

三納さんが撮ってくださったビデオを見てみると、「なるほど‥‥!」皆さんがおっしゃるとおりだと思いました。選曲が全体を通してなんとなく意味の繋がりがあったし、ゲストの皆さんが、すごく私に対する思いをもって演奏して下さっていました。その上いろんなハプニングが、自分では想像していなかった効果をもたらして、アットホームなコンサートになっていたのです。

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舩水京子さん

竹内克好さん

牧野英一郎さん

まずは、ゲストの琵琶の舩水さんは「ソングセラピスト枝璃貴子」というタイトルでオリジナルの語りを作ってくださいました。舩水さんはこれまでご両親やご主人を亡くされた時も、音楽などを聴いた時も一度も涙を流したことがないのに、私のDVDの中の歌を聴いた時に、不思議なことに初めて涙が溢れたとおっしゃって、今回の語りも泣きそうになって、ほんとは3倍もあったのに短くしてしまったそうです。でも、皆さんとても感動したとおっしゃっていました。”e楽坊” こと精神科医の牧野先生は、私のソングセラピストについて、なにか一言とお願いしていましたところ、いつものバイオリン演歌のなかで、私のセラピーコンサートに対する考え方を重ね合わせて語ってくださいました。すごく理解して下さっていることを知り、とても感服しました。ハーモニカの竹内さんは、私がリクエストした「チャルダス」を演奏して下さいました。すごくテンポの速い曲なのに、普通のハーモニカを2本いっしょに吹いたりして、こんなことが出来るのは竹内さんしかいないと思います。

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ソングセラピストの私

”Eries’ ひきがたりアンサンブル”

デュエットしてくれた島田さん、白土さんは何度か家にリハーサルに来ていただきましたが、練習の甲斐あって評判よかったです。”Eries’ ひきがたりアンサンブル” は、門下生と仲間たちです。左側の2人は私の同級生夫妻で、右側の3人は、支援の会代表山浦さんのお仲間で、ふた組とも合唱団に入っておられますが、特別参加をしていただきました。それぞれで練習していただいて、みんな集まって練習したのは4月7日、ホールのリハーサルのとき1度だけですが、本番が一番良かったです。

おもいがけないハプニングがあったのは、島田さんとデュエットの時に、島田さんのご両親が私のファンになってくださって、何度かコンサートに来ていただいたお話をしたときのことです。2年前にお母様が亡くなられましたが、ご病気の時も、棺の中におられたときも、お母様のために私が歌いに行ったことや、お父様が来年100歳なのに会場に来られていると言うお話をしていたら、なんとお父様がお母様の写真を掲げて見せてくださったのです。会場の皆さまも喜んでくださいました。島田さんはそんなこと知らなかったと、あとで驚いていました。もうひとつのハプニングは、全曲終了したら、竹ノ塚の合唱奏サークル「円むすび」の皆さんが花束贈呈という段取りになっていました。てっきり舞台から持ってきてくれると思ったら、まだ客席に座っていたので、舞台の方に廻る様に合図をしました。ところがなかなか時間がかかってしまい、間が抜けた状態になってしまったと思いましたが、ビデオを見たら、私が「花束さあ〜〜ん」と呼んでいて、客席の皆さんも和んでいる感じだったのでホッとしました。スタッフの指示がいき届かなかったために、円むすびの皆さん、ごめんなさいね。

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島田さんのお父様

「円むすび」の皆さんから花束をいただく

ただひとつ残念だったのは、風邪が治りきらなかったために本来の声でなかったことです。いわゆる美声と言われる声の人は声帯がデリケートなためにトラブルのリスクを受けやすいので、これまでのコンサートでも何度か、そんな辛い思いをしています。たまたまそんな時だけ、来てくださった方も多いのではないかと思うと、ちょっと悔しいです。でも、私が声楽の勉強をしていた同時期に同じ門下であった、テノールのIさんは世界的に活躍されて有名ですが、やはり声のトラブルが起きやすく、私も何度か通った、世界の声楽家を治療されている耳鼻科の先生によくかかっていました。一度は、週刊誌にも大きく出たのですが、第九のソリストとして舞台で歌っているときに急激に声が出なくなり、お客様として聴きに来ていた他のテノール歌手と急きょ交代するという出来事が起きたこともありました。私は、声が不調だった時はいつも「それに比べれば‥‥」と自分を慰めるようにしています。

でも、今回はいつも聴いている人以外には、そんなに気付かれなかったようなので、それで良しとしましょう。

東京のホールでの自主コンサートは、これにて終了しました!

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2016年4月16日(土)

熊本地震

4月14日の夜、食事が終わってくつろいでテレビを見ていた時、なんだか変な横揺れがありました。短かったので大したことないと思っていたところ、ニュースで熊本が震度7の地震と報じました。ニュースも最初のうちは、そんなに大きな被害がないような感じでしたが、時間が経つにつれてだんだん被害が拡大していき、大変な震災の様相を呈してきました。そして今日(4月16日)の未明に、ニュースでレポーターの方が「すごく揺れている」と騒いでいて、どうしたのかと思ったらまた大きな地震が起きていたのです。その後それが「本震」で、最初の震度7は「前震」だという発表がありました。こんなことは私が知っている限り前例がないし、なんという恐ろしい地震で、一体どうなってしまうんだろうと愕然としてしまいました。今も震度6強が相次いで起きていて、被災地の皆さんはどんなに怖い思いでいることでしょう。私も新潟地震を経験してその怖さを知っているだけに、とても人ごとには思えません。とにかく今は、被災された方達がよりよい環境で過ごせるようにしてほしいと思います。

長き不在

実は、私の支援の会代表の山浦幸雄さんと、事務担当の近藤征治さんは九州出身で、中学の同級生です。私がいろいろとお世話になった詩人の松永伍一先生(写真)が、詩人として上京する前に中学の先生をされていた時期があって、その時の教え子にあたります。松永先生のご縁で、近藤さんと出会い、山浦さん達と出会ったのです。松永先生は私が事務所から独立するように背中を押してくださった方です。「このままでは籠の鳥で終わってしまうよ」と言われたことが、誰の支配も受けないで独自の世界を築いて来れた今の私に繋がっています。離婚をしたときには、これからどう活動していったらいいかまだ何も見えてない時に、心配してお電話をくださって、「思ったより元気そうだね。今度コンサートをする時はノーギャラでゲストになってあげるよ」と言って下さった明るい声が今でも耳に残っています。何度かゲストで出演していただき、私のメッセージ性を高めてくださいました。その松永先生も2008年に亡くなられて、今、近藤さんたち教え子たちが発起人となり九州で「松永伍一文学保存の会」を立ち上げ、平成30年には記念碑を建立することになっています。その近藤さんのお仲間たちは、私の気仙沼や、南相馬の慰問に一緒に同行した方達でもあります。そんな関係で、私にとっても九州は特別な地になっています。

そんな九州がもうこれ以上の打撃を受けませんように、祈るばかりです。

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2016年4月12日(火)

もうすぐコンサート

 

長き不在

水泳の北島選手が引退しましたね。アスリートの引退の仕方は様々で、ファンの受け止め方もまた様々な考え方があると思います。私は個人的には、あまり力の衰えを見せることなく、ファンの皆さんに素晴らしかった印象を残して潔く引退、というのが好きです。でも、アスリートの皆さんは若くして引退、ということになるので、なかなかその決断は難しいことでしょう。

私の今回22日ムーブ町屋のコンサートは、アスリート的に言えば、競技生活から引退ということになります。次にやりたいことがあってのことなので、あまりそういう印象にはならないと思いますが、私のなかではそうです。東京での音楽ホール自主コンサートはラストです(酒田は来春予定しています)。

自主コンサートは準備の段階からすごく大変であることと、一般向けコンサートは、技量が試される場であって、大げさに言えば、オリンピックに出るくらいの気持ちで自分との闘いに勝たなければならないものです。よくお相撲さんが引退の時に「体力と気力の限界」という言葉を使いますが、今の私はその気持ちがよくわかります。これから活動しようとしているセラピーコンサートは、講演会のなかで歌うという感じで、技量よりも内容が大事ということになるので、競技的ではなくなります。フュギアスケートの選手たちが競技を退いて、アイスショウに移行するのと似ています。

長き不在

先日、羽生選手に密着している番組を見ていたら、世界選手権では足首を痛めていたことがわかりました。そこには、激痛があっても負けないように練習をしている姿がありました。インタビュアーが「メンタルが強いですね」と言った時、即座に「弱いです!」という答えが返ってきました。ほとんどの人が意外に思ったでしょう。「だから常に上を目指して頑張っているんです」というような意味のことを強く言っていました。私は、きっとそうなのだろうと思いました。一流の人達は大抵そのようなことを言っています。逆に、今まで私の身近にいた人たちのなかで、自信満々で緊張もしないと言って、気楽に活動していた人たちは何の進歩もなかったように思います。

実は4月3日、朝目覚めるとすごく喉が痛い状態になっていました。炎症を起こしているせいか、喉から出血もしていました。7日はホールでのリハーサルで、声とギターの音量を決めるマイクの調整が一番の目的だというのに、普通の声が出せないとなると大変なことになります。4日間でなんとか普通の声に近い声が出せるようにしなければと、自分で考えられるあらゆる努力をしました。そういう状態の時は声を出すと、悪化させるので、リハーサルの日まで極力声を発しないようにしました。当日はなんとか歌うことが出来ましたが、それは喉にとって良くないことだったので、未だに声の調子が戻っていません。弾き語りはギターと一体になっていて、練習をしないと全部調子が狂ってしまうので、くちパクでギターを弾いて練習という状況です。なんとか早く普通の声に戻ることを祈る毎日ですが、これからはこんな苦労は軽減されるだろうと思うと、そんな暗い気持ちにはなっていません。とにかく頑張るとしましょう!

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2016年3月27日(日)

「長き不在」フクシマを生きる

 

長き不在

1週間位前の新聞に、「避難指示今春の解除難航」という記事が載っていました。WEB日記に何度か書きましたが、私が2度訪れた鹿島区仮設住宅の方達が、急に避難指示が解除になって今年の4月に仮設住宅を出なければならなくなり、帰るあてのない人たちが困っているという状況にありました。新聞では、帰還環境が整ってなく時期尚早という問題を抱えている地区として、私たちが車で案内していただいた、南相馬市の小高区のことなども書いてありました。

その翌日だったか、自治会長さんの藤島昌治さんから、新しい詩集とお手紙が送られてきました。藤島さんは1冊目に「仮設にて」という詩集を書かれています。それを私が作曲したくだりなど、詳しいことは2014年11月14日のWEB日記「ココパームのライブコンサートを終えて」や、その前後の日記に書いています。今回の2冊目は「長き不在」フクシマを生きるというタイトルです。お手紙には、メディアや、支援者の方達のおかげで、大分事情が理解されてきて、シェアハウスのことも焦って動かなくても、もっと長いスパンで考えていけるようになったことなどが書かれていました。

本を拝見してみると、藤島さんが仮設の皆さんのために前向きに一生懸命生きていこうとする様子と、裏腹にご自身が弱気になりうつ状態になることもある様子が書かれていて、それは私自身の心とも重なりあうものでした。だれしも強いだけの人間はいないと思うし、当然だと思いました。それでもあきらめないで前に進んでゆくことに、人としての価値があるのではないでしょうか。

私が一番最初に目をとめた詩をご紹介しましょう。

この詩の前半は、別の詩を読むと、このおばあちゃんの事情が解ってきます。この地域では3世代同居が当たり前で、震災前は嫁や孫たちに恵まれ幸せに暮らしていたのですが、避難解除の時が近づき、もとの生活が取り戻せるとばかり思っていたところ、お嫁さんから上機嫌で「おかあさん、施設が決まったよ」と言われて愕然としたという内容でした。後半は藤島さんがシェアハウスを作ろうと奔走する思いの原点が感じられて、涙がこみ上げました。

そして、「最高!」と思った詩です。

 藤島さんの著書『長き不在ーフクシマを生きる』の詳細はこちら

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2016年3月11日(金)

東日本大震災から5年

 

(クリック⇒防潮堤の写真)
紫市場

今年もまた3.11が廻ってきました。いつものようにテレビではいろいろなドキュメンリー番組が放映されています。もう何度も気仙沼や南相馬に行っていますから、見なれた風景がたくさん出てきます。でも、ニュースで10mの防潮堤が完成しているのを見たときには驚いてしまいました。私は府中に住んでいた時があって、府中刑務所の前を何度か通ったことがありますが、あの高い塀と同じようではありませんか!まるで海が大罪を犯したから、塀で囲ってしまったように感じられました。でも海を全部囲いきれるものではないし、海の景色も全く見えないし、だいいち地元の人たちは嫌がっていますよね。津波の直後は「もう海なんて見たくない」と言っておられた地元の人たちも、時が経つにつれ、この海で育ったのだという愛着を取り戻しておられる方も多くなっているように思われます。未だにそのようには思えない方が大勢いらっしゃることも事実でしょう。また一方では土地を12mかさ上げして、街づくりをしているとのニュースもありました。そのほうがいいように思いますが、専門家の方々はどのように考えておられるのでしょうか。

紫市場

5年経った今、新たな問題が出てきていることも、関係者の方達から聞いて少しは知っているつもりです。

気仙沼に行ったときに、真っ先に立ち寄るのは、仮設商店街「紫市場」です。副理事の坂本さんにはコンサートの折、なにかとお世話していただきました。その仮設商店街も今年の10月で無くなることになり、他でお店を出すにはお金がかかるので、商売を続けられなくなる人が出てくるようです。南相馬も、以前書きましたように、今年の4月で、仮設を出ることになったものの、帰る目途がたたない人が多い状況になっています。国がもっともっと復興に力を入れてくれたらと思わずにはいられません。情熱を持った方を復興大臣にしてほしいと思います。
 先日、被災地や鉄道自殺などに力を注いでいらっしゃる新井さんから、メンタルケア協議会理事の西村由紀さんを紹介していただきました。新井さんと一緒に代々木にある事務所を訪ねましたが、いつもはラフな服装の新井さんがキッチリネクタイ姿で改まっていました。玄関に入る前にコートを脱いで左手に持ったので、私も真似をしました。玄関に入ると広い空間があって、右の奥に理事室兼応接室がありました。なんだか面接試験に来たようで緊張しました。西村さんは精神保健福祉士をされている方です。私もまだ詳しくはわかりませんが、精神科医、看護師、メンタルカウンセラーなどを状況に応じて手配をされるようなお仕事のようです。精神病や自殺しそうな人などに関わっておられるのでかなりハードなお仕事のようでした。理事室に入って来られた西村さんは、どことなくアグネスチャンさんに似ている感じの優しそうな方でした。その日はご挨拶と、私がソングセラピストとして活動していきたいと思っていることを聞いていただきました。帰る時はホッとして、見送りに出られているのに、歩きながらコートを着てしまい、「あっ、まだ着てはいけないんだった!」などと口走ってしまいましたが、「どうぞ、寒いですから着て下さい」と言っていただきました。

4月のコンサートに来て下さるということになり、2回目は私ひとりでポスターなどを持って行きました。チラシ、チケットもたくさん預かってくださいました。伺った時、他の部屋で電話中でしたのでしばらく待っていましたが、理事用椅子の上に枕と掛け布団がたたんで置いてありました。私が座っていたソファーを見ると、ちょうど寝られるようなサイズだったので、「きっとここに泊まられたにちがいない!」と思いました。
 被災地では5年経っても思うように復興しないために、心が折れてしまう人も増えていると聞きます。このようなお仕事をされている方達の、現地での活動をもっと国が支援してくれることを願うばかりです。

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2016年3月3日(木)

本田美奈子さんのこと

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「慰め」の力

本田美奈子さんといえば、芸能界に詳しくない人でも名前やお顔をご存じのことでしょう。

アイドル時代は、他のアイドル達とはひと味違うタイプで、「マリーリ〜〜ン」と赤いヘソ出しルックの衣装で腰を振るキュートな振り付けで、ちょっとわがまま風で、あどけない笑顔がとても可愛い人でした。それがある時、クラシックの発声法を勉強しているということで、テレビ番組で全然違うイメージの素晴らしい歌声を披露しているのを観て驚きました。ポピュラーとクラシックが融合した歌はとても魅力があるものでした。ミュージカルでも活躍され、「ミスサイゴン」は大変評価されました。私は「ミスサイゴン」を観に行ったのですが、ダブルキャストで美奈子さんではなかったのが残念です。それから間もなくテレビのドキュメンタリー番組で、白血病との闘病生活を見ることになってしまい、2005年、惜しまれながら天国に旅立たれました。38歳の若さでの旅立ちでした。世間の衝撃は大きく、白血病が注目を浴び、「NPO法人リブ・フォー・ライフ美奈子基金」が立ち上げられました。

その中心となって理事をされているのが、私の支援の会代表・山浦さんの友人、跡部浩一さんです。以前から跡部さんのお話を伺っていましたが、先日お会いすることが出来ました。美奈子さんが入院しておられた時、跡部さんも白血病で一緒に入院されていた関係で、その活動をされています。今はとてもお元気で、私の「啄木を詠う、歌う」も観に来て下さったそうです。きっと、活動の原動力になっている思いは、私が一人娘の舞を亡くしたことが原動力となっているのと似ているのではないかと思っていましたが、やはりお話してみるとすごく理解し合うことが出来て、ほんとに嬉しい時間を過ごすことができました。

「骨髄ドナー登録」は2004年20万人だったのが、美奈子さんが亡くなった年に45万人になったそうです。本田美奈子さんは、きっと神様に使わされた天使だったのだと思います。

跡部さんは美奈子さんの活動の方でいろいろご苦労されておられるのに、私のことも応援して下さって、4月のコンサートのチケットをたくさん持って行って下さいました。ほんとに有難いことです。

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2016年2月21日(日)

「慰め」の力

2月19日の産経新聞に、私にとっては大きな意味を持つ記事がふたつ載っていました。

まず目に飛び込んできたのは大きな文字で「津島祐子さん死去」という写真入りの記事でした。太宰治さんの次女で作家です。私が勝手に、一方的に、戦友のように思っている作家でした。それは、私の子供が8歳で亡くなった時に、知人が読んでみたほうがいいと薦めてくれたのが、津島祐子さんの本でした。その内容は、驚くことに、8歳の息子さんが突然お風呂で亡くなっていたという実話でした。その時、「どうして自分の子供だけが?」という絶望のあまり、世界中の子供が死ねばいいと思ってしまったという、衝撃的なものでした。その後しばらくして、日航機事故が起きて、何人かの子供さんも命を落とした時に、はっとして、「私は何ということを考えてしまったのだろう」という自責の念に苛まれたそうです。

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「慰め」の力

実は私の時は、ちょうど宮崎勤幼女誘拐事件が起きて、毎日のように新聞で幼女が殺害されたことが報じられていました。その記事を読むとき、「私だけじゃないんだ。このお母さんたちは想像がつかないくらいもっと辛いことだろう」と思うと、不謹慎なことにほんの少し慰めになったのでした。そんなことを思った自分が情けないと思います。でも、宗教家のひろさちやさんも、子供さんを亡くした時、有名人で子供を亡くした人を探しだすことに一生懸命になり、たくさんいるということがわかって慰めになったと書かれていました。著書のなかに名前が羅列してありますが、それを読んで私も慰められたのです。仏教を研究しておられる方でも、そうだったのですから、結局、経験のない人から励まされてもどうにもならない悲しみというものがあって、それは只々「共感」というものが一番の慰めになるということではないでしょうか。私がソングセラピストになりたいと思った原点になっていると思います。ひろさちやさんのその本を読んで、救われた人がどれ程いたことでしょう。私も「あじさい」を初めとして、オリジナル曲を歌うことで、少しでも多くの人の「慰め」の力になりたいと思います。

もうひとつの記事は五木寛之さんの「震災5年に思う」です。苦しんでいる人がいるとき、半分背負いたいと思っても、軽々しくそれを担うことなんてできない。それがわかった時に、ただその人のそばにいて、黙ってその人を見つめ、声を聞く、それが慰めである、というような内容が書かれています。詳しくは記事をご覧になってみてください。カミュの「シ―シュポスの神話」の話も共感しました。

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「慰め」の力
山浦さんからDVDを受け取られる桜井南相馬市長(撮影・三納)

先日嬉しいことがありました。支援の会の代表の山浦さんと、ホームページを作ってくださっている三納さんが所属しておられるディレクトホースという団体がありますが、その会の催しものに南相馬の桜井市長さんが講演に来られたのです。それで、私の南相馬での活動を知っていただくために、DVDをお渡ししようということになりました。前に作った「仮設にて」と、今制作中の「セラピーコンサート in 南相馬」です。DVDはすべて三納さんが録画、編集、デザインをしてくださっていますが、「セラピーコンサート in 南相馬」の方はまだ出来上がってきていないので、とりあえず三納さんが完成品のような素晴らしい手作りで1枚作ってくださったものをお渡しすることが出来ました。「南相馬に慰問に来たら立ち寄ってください」と言っていただいたそうです。

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2016年2月10日(水)

4月のコンサートに向けて

4月22日、ムーブ町屋ホールでコンサートを開催することになりました。公共のホールは普通、6ヶ月前に申し込みに行き抽選で決まることになっていますが、コンサートをすることに決めたのは、12月でした。公共以外のホールは値段がすごく高いので、公共ホールの残っている空き情報の中から選ばなければならなくなりましたが、希望している200人位のホールはもう空いているところはありませんでした。ムーブ町屋ホールは300人位のホールで、ちょっと集客的には大変だと思いましたが、いい感じのホールということは知っていましたので借りることにしました。

今回のコンサートの主旨は、「今年からソングセラピストとして活動して行きます」ということをお披露目することです。そのためにソングセラピストになった経緯を本にして、「出版記念コンサート」にしようと思っていましたが、いざ書き始めると書きたいことがいろいろ出てきて、とても短い期間では無理だということがわかり、急きょ取りやめました。その代わりに、ソングセラピストとして南相馬でセラピーコンサートをしてきた録画を編集してDVDにして、「セラピーコンサートDVD制作記念」のコンサートに切り替えることにしました。

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「セラピーコンサートDVD制作記念」DVD

DVDは、三納さんに編集していただきましたが、「これが私の目指してきたセラピーコンサートです!」と、胸を張って言える内容に仕上がりました。また、ジャケット(右)もとてもいい雰囲気のデザインになっています。

コンサートではこのDVDを、ご来場の皆さまに差し上げることにしています。

あとは、少し遅れてしまっていますが、チラシ、ポスター、チケット、プログラム作りに取り掛からなければなりません。

コンサートの内容は、1部はセラピーコンサートのお話をしながら、弾き語りをします。そして、2部はこれまで、シンガーソングライターとして活動を共にしIきた、仲間たちや、門下生なども出演する形で、賑やかに進めていこうと考えています。ハーモニカの竹内克好さん、琵琶の舩水京子さん、バイオリン演歌の牧野英一郎さん、Eries'ひきがたりアンサンブルが出演する予定です。

気がつけば、あと2ヶ月しかない状況になってしまい真っ青ですが、なんとか頑張って作業を進めていこうと思っています。

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2016年1月29日(金)

遅い新年会

24日に大相撲初場所が終わり、大関琴奨菊関が10年ぶり日本人の優勝を果たしましたね。

琴奨菊関は九州柳川市の出身で、支援の会の事務局をしてくださっている近藤さんの故郷です。なんと、弟さんが柳川市で、琴奨菊の後援会、大木地区の代表世話人をされておられるそうで、びっくりです。琴奨菊関は怪我が多くて、特に肩を怪我していた時はあれでよく相撲が取れるものだと思っていましたが、半年前からトレーナーの指導のもとに筋トレに取り組んでおられて、ダンベルで鍛えている映像を見ました。そういった努力と強い精神力は、大きな結果をもたらすんですね。どんな世界でも通じることだと、私自身の励みにもなりました。

国技館のある両国に「花の舞」というお店がありますが、中央に土俵があって、お相撲さんの絵や色紙などが飾られています。そのお店で、被災地を紹介して下さった新井さんと、初めて気仙沼にご一緒させていただいた整体の会社社長、會田さんとようやくこの26日にお会いすることが出来ました。実は、ここ何年か皆さんとご一緒に忘年会をしていましたが、昨年はみんな忙しく日程が合わず、ずっとお会いしていなかったので、花の舞では「遅い新年会」のようになり、話題は多岐にわたり大変盛り上がりました。

まずは、私が昨年メンタル心理カウンセラーの資格を取った報告や資料を見ていただき、今年からソングセラピストとして頑張りたいという話をして、おふたりにご協力をお願いしました。會田さんからすごい頑張りだと驚かれて、「これから枝璃さんは先生ですね!」と言われたら、なんだかすごく嬉しくなりました。音楽ではずっと先生をしてきましたが、セラピストとして先生と言われたのは初めてで、すごく認めていただいた気分になりました。ほんとにそうなれるかは、これからの私の頑張り次第です。

會田さんは、幅広い分野で飛びまわっていて、次から次と、政治のことから教育問題、異常気象、歴史のことなど、弾丸トークで、さすが働き盛りの年代、すごいエネルギーだと思いました。

そして、ボランティア活動に熱心に取り組んでおられる新井さんは、もとJRの要職に就かれていた方です。

南相馬の今の状況や、気仙沼の状況などをいろいろ話して下さいました。今年はどのように関わって行ったらいいかを相談しながら考えていきたいと思います。また新井さんは、鉄道自殺の問題にも長年尽力されていますので、そういうことにも関わっていけたらと思いました。

いつも人と違うようなことや、雲をつかむように先の見えないようなことに一生懸命になってしまう私は、どうしても孤独になりがちですが、久々に楽しい、有意義な時を過ごすことができました。

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2016年1月14日(木)

携帯紛失・南相馬のシェアハウス

8日、竹ノ塚の弾き語りサークル「円むすび」の指導に行った際に、いろんな物を落としてしまいました。

いつも小さいリュックを背負って、キャリーバックで出かけるのですが、今まで愛用していたリュックの背負いひもが切れて、新しいリュックに換えていました。小さくて軽いことを第一条件にネットで探して購入。物を入れるところが全部、縦のファースナーになっていることに気が付かなかったので、大失敗でした。案の定、携帯などを入れていた部分の、ファースナーを閉め忘れたすきにいろいろ落としてしまったようです。

帰りの電車で携帯がないのに気が付いて、交番に届け出をしたり、乗り継いだ電車、全部に電話で問い合わせましたが、見つかりませんでした。最近は携帯の犯罪が多くなっているようなので、すぐドコモに行って使えないように止めてもらいました。それまで私は、スマホは大変そうだから使いたくないと思っていましたが、手続きをしているときに目の前に「らくらくスマホ」があって、みんなが使っているスマホより簡単そうだったので、この際スマホに換えることにしました。ちょうど、1月いっぱいお年玉セールで、機種変更は無料とのことで、担当者の人が「いい時に来られましたね」と言っていました。おみくじが大吉だったのに携帯を失くして、「なんてことだ!」と思っていましたが、考えてみれば、断固スマホ拒否だった私が、やむなくスマホを使うことになったのだから、そういうお導きだったのかもしれません。まだ慣れていませんが、使ってみるとやはり便利です。ただ、困ったのは電話帳のデータを全部失ってしまったことです。パソコンの名簿には大体固定電話の番号しか記載していなかったので、携帯番号は一から調べ直しになってしまいました。番号を登録してあれば、受信したとき相手の名前が表示されますが、ほとんど無くなったので、誰からかかってきたのかわからなくなります。当分は「はい、舞音楽事務所です」と応対するしかなくなりました。親しい人はびっくりするかもしれません。

ところで、私の被災地のボランティア活動のきっかけを作ってくださって、その後も活動するにあたって、なにかとお世話していただいている新井さんから情報をいただきました。昨年のWEB日記に書いていますが,シェアハウスの件がいい方向に向かっているそうです。

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新聞記事

<昨年7月1日の日記「昔むかしあったとさ」より>

ところで、来年4月に南相馬市の避難区域が一部解除されるために、仮設を出なければならなくなり、行くところがなくて困っているお年寄りがたくさんおられるということは以前にも書きました。そこで、藤島さんが世話人となって、シェアハウスの建設を希望する署名運動を始められたとのことでした。

そういう所が出来たらどんなにいいかと思います。出来るだけ多くの方々に署名をお願いしようと思っています。

おかげさまで皆さまのご協力をいただき、私たちもたくさんの署名を送ることが出来ました。同封されてきた新聞記事を掲載します。

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2016年1月5日(水)

新年明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。皆さまお正月はいかがお過ごしになりましたか?

私はここ数年、江の島神社の初詣に行っていましたが、今年は行かないことになり少しがっかりでした。それよりも3日にどうしても富士霊園に行かなければならなかったので、今年のお正月の過ごし方についてはあまり期待をしていませんでした。ところが、思いがけなく充実したお正月を過ごすことができて、大満足をすることが出来たのです。

まずは大晦日にテレビを消し忘れて寝てしまい、目が覚めたらテレビで富士山の初日の出を待ちわびている場面が出てきて、まさにリアルタイムで初日の出の瞬間を見ることが出来ました。そのうえ、何を待っているのかと思ったら、なんとダイアモンド富士が映し出されたのです。感動的な縁起のいい年明けとなりました。

昨年、父のお墓がある富士霊園に行けないままになってしまい、年末に富士霊園行きバスの予約の電話をしたところ、年内には都合がつかなくて1月3日しか取れませんでした。弟が生前レース業界の仕事をしていて、富士スピードウエイを見下せる場所に建てたお墓で、今は弟も父と一緒に眠っています。3日はまれに見る素晴らしい青空で、富士山がくっきりと浮かび上がっていました。

江の島神社に行けなかったもうひとつのわけは、一昨年の夏に膝の半月板を痛めて、それ以来時々膝の調子が悪くなり、昨年行った時、帰りの延々長い石段を降りるのにひと苦労したからです。かなり高い所にあって、上りは有料のエスカレーターがあるのですが、下りがないので大変です。江の島神社は美しい弁財天がおられて、芸能の神様として有名です。弁財天のお守を毎年買って、ギターケースに付けていたのに残念!今年はもっとヨーガなどを頑張って、脚の調子を良くしなければ。

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コノハナノサクヤヒメ ダイアモンド富士
コノハナノサクヤヒメ ダイアモンド富士

年末に、通称「一番弟子」の山科さんが、あまり使わなくなった電動のハンドマッサージ機を持ってくるというので、それでは大晦日に一緒に年越しそばを食べようということになりました。

本田と3人で年越しそばなどを食べながら、山科さんに江の島神社に代わる芸能関係の神社がないかと聞いたら、早速スマホで調べてくれて、新宿の「花園神社」の中に小さい芸能浅間神社というのがあって、御祭神は「木花之佐久夜毘売」(コノハナノサクヤヒメ)という芸能の神様だと言って画像を見せてくれました。その画像があまりにも素敵だったので、即!「それがいい」ということになりました。コノハナノサクヤヒメは富士山にも関わりがあるようです。

それで、4日に3人で花園神社に初詣に行ってきました。それは予想以上にフィーリングがぴったりの神社で、芸能関係の人たちがたくさん来ているようでした。「芸道成就」という立派なお守りも買うことが出来たし、何年ぶりかでおみくじを買って、ドキドキしながら開けてみると「大吉」で、冒頭に「思い通りになる運です」と書いてありました。今年からソングセラピストとして頑張ろうと思っている私にとって、幸先のいいスタートです。もう10何年か前になりますが、初夢で富士山の夢を見ました。空に美しい大きなマリア様のような姿が映し出され、それが一瞬にして、浅黒い少し萎んだ顔の小柄な人物像に変ってびっくりしました。今思えばマザーテレサだったと思います。その話をすぐ田無神社の宮司さんに話したら、「それは素晴らしい正夢ですよ」とおっしゃったのですが、その頃、宮司さんは花園神社の宮司さんとおふたりで本を出版されていたのです。今頃になって、なにやら繋がってきているのではないでしょうか?

それにしても、暮れからお正月にかけて「富士山」「花園」がキーワードになっているようです。

なにはともあれ、皆さま今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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