2014年12月29日(月)

本年も「WEB日記」を見ていただきありがとうございました

今年は各地で異常気象による災害が発生したりいろんなことがありましたが、もうすぐ年が明けますね。

私も相変わらず変化に富んだ年だったと思います。そんな私ですが、またまた変化を求めて勉強したいことが出来ました。音楽ではありませんが、今後の音楽活動に役立つことです。

それなので、3月までは勉強に打ち込みたいと思っています。ただ、5月の南相馬のコンサートと9月の酒田のコンサートは、300人規模のホールでのコンサートで、しかも地元にいないで動員しなければならないので、東京で開催するより何倍もの手間がかかります。その準備は年が明け次第かかるつもりです。レッスンも通常通り行いますから忙しいことには変わりないと思いますが、コンサートを控えたいろんな苦しみからはしばらく解放されそうです。東京でのライブは7月頃には一度しておかないと、皆さんに忘れられてしまいそうですね。

日時が決まりましたらライブ情報に記載します。

いつもWEB日記を見てくださってありがとうございました。来年も頑張って書きたいと思います。 それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。

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2014年12月25日(木)

「枝璃貴子と気のいい仲間たち」コンサート&パーティを終えて

12月21日は「枝璃貴子と気のいい仲間たち」のクリスマスコンサート&パーティーでした。前回8月の「枝璃貴子と気のいい仲間たち」は台風という天候のなかでの開催となりました。15年間、年2回続けてきたことに疲れを感じ、12月だけの1回に切り替えようと決めた時でしたので、台風の雨は過去を洗い流し、再生を表していると思いました。

そして迎えた21日は、天気予報が最初は雨だったのが、曇りに変っていき、当日には晴れの素晴らしい天候に恵まれました。年1回に決めてから最初の「気のいい仲間たち」は祝福を受けていると感じました。私自身がそのような新鮮な気分で臨んだ「気のいい仲間たち」はとても盛況で、楽しいコンサート&パーティーになったと思います。初めてのお客様も多かったのですが、皆さんとても楽しかったとおっしゃってくださいました。

出演者が多く、長時間のコンサートになるので、お客様が飽きないで楽しめるようにバラエティーに富んだ内容にするようにしています。そのため門下生や仲間たちと一緒の練習も多岐にわたります。その他の準備も多岐にわたり、前日までビンゴゲームの景品の買い出しや、ラッピングなどをしていました。でも、パソコンがまだよく出来なかった頃はプログラム作りが前日の夜中までかかったりしたので、それに比べれば今回は気持ちに余裕をもって本番を迎えることができました。

ココパーム
「Eries'ひきがたりアンサンブル」の 合唱奏
(クリックしてYOUTUBEをご覧下さい)

私の活動がコンサート中心であるため、時間的に門下生の人数はあまり増やせないので、普通の教室のような門下生だけの発表会というのはしていません。そのため、門下生のために素晴らしい発表の場を作ることを目的にして続けてきたコンサートです。門下生たちはプロ級の人たちと一緒に発表の場に立つことで、毎年確実に進化を遂げています。そしてその成長ぶりを楽しみに来て下さる常連のお客様も少なからずおられます。なんだかこれからは年1回になると思うと、急に愛おしい会に感じられてきました。準備と当日の大変さは半端ないけど、なんとか長く続けていこうと思います。

ココパーム
マザー・テレサの「わたしをお使いください」を歌う
(クリックしてYOUTUBEをご覧下さい)

ところで、今回マザー・テレサの「わたしをお使いください」を歌うことにしたときに、完全にそらんじて歌いたいと思い、どんなに忙しい日でもこの歌だけは欠かさず練習しました。最初は声楽的に朗々と歌うことにしました。でもなんか気持ちが伝わらないような気がして今度は芯のない、ささやくような声でやさしく心を込める歌い方にしました。それからやはりもっと芯のある声にした方がいいと思って、ある程度張りのある声にしてみました。そして迎えた本番、今までにない声で歌っている自分に気が付きました。なんというか、一点の曇りもない声というか自分でも驚く声だったと思います。2曲目からは普通のつもりで歌っていました。ところが、翌日琵琶の舩水さんからお電話をいただき、私が美しい声に変わったとおっしゃったのです。いわゆる「美声」とは違う、心がこもった美しい声ということで、そんな歌い方が出来る人はいないと大絶賛してくださいました。舩水さんは大変嬉しい気持ちで帰られたそうで、ご自分も長生きする力が湧いたとのことでした。私の方こそ力が湧いてきました。有難いことです。舩水さんのためには年2回がよかったと思ってしまいました。なにか他の方法を考えることにしましょう。

ココパーム
大絶賛して下さった「舩水京子」さん(YOUTUBEには後日アップします)

また、冨田さんがゲスト出演してくださって、「仮設にて」をご披露しました。初めてのお客様が何名か、支援の会に入会してくださいました。来年5月17日の南相馬のコンサートに向けて頑張りたいと思います。

いつものように三納さんがビデオに撮ってくださっていますので、後日ユーチューブにアップして下さると思います。

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2014年12月18日(木)

マザー・テレサの祈りの歌

21日は「枝璃貴子と気のいい仲間たち」のクリスマスコンサート&パーティーがあります。

クリスマスなので、なにか今まで歌ったことのない賛美歌でいい曲がないかと思い、インターネットで探してみたところ、「マザー・テレサの祈り」の詩に曲をつけた「わたしをお使いください」という歌を見つけました。とても気にいったので、ミニライブの1曲目に歌うことにしました。

私が被災地のボランティア活動に力を入れていることに対して、「どうしてそんなに一生懸命になっているんですか?」と聞かれることがあります。そんな時、「私も絶望を味わったことがあるから」という答え方をしますが、なんだかそれだけでは説明がつかないものがあるような気がしていました。私は子供を亡くしていますが、仏教では「親に先立つ子は導き手である」と言われています。直接的な意味では、それまで神仏に興味がなかった人も、子供を供養するために神仏に手をあわせるようになることですが、それ以外の大きなことに気づいていくということも確かにあると思います。そんな話はたくさん聞きます。

先日菅原文太さんが亡くなられましたね。私の懐いていたイメージは、社会問題に対していろいろな意見を持って行動されている方、というものでした。先日テレビの追悼番組として「トラック野郎」の映画を放映していました。これで有名になった方だからどんな映画なのか観てみることにしたのですが、なんと最初の方がすごい下品な内容でびっくりしてしまいました。見るのをやめようと思ったんですが、思いなおして最後まで見届けました。途中からは寅さん映画みたいな内容になったのでけっこう面白く見ることが出来ました。でも思っていた菅原文太像とはかけ離れていました。他の追悼番組を見たときに、俳優だった息子さんを亡くされてから考え方や生き方が変ったということがわかりました。「やっぱりね」という思いです。

私の若い時は自分が生きていくだけで精一杯という人間だったと思います。いつまでもお姫様キャラと言われたものです。「マザー・テレサの祈りの歌」を練習していると、自分では意識していないけど、大きな力に動かされているのではないかと思われてきます。説明しようのない湧き上がってくる思いで、ボランティア活動をしているような気がします。その歌詞をご紹介しましょう。

  1. 主よ、今日一日、
    貧しい人や病んでいる人々を助けるために、
    私の手をお望みでしたら今日、
    私のこの手をお使いください。
  2. 主よ、今日一日、
    友を求める小さな人々を訪れるために、
    私の足をお望みでしたら今日、
    私の足をお使いください。
  3. 主よ、今日一日、
    優しい言葉に飢えている人々と語り合うために、
    私の声をお望みでしたら今日、
    私の声をお使いください。
  4. 主よ、今日一日、
    人というだけでどんな人々も愛するために、
    私の心をお望みでしたら今日、
    私の心をお使いください。

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2014年12月2日(火)

「仮設にて」のDVDとコンサート

「仮設にて」をYOUTUBEにアップしたことを、支援の会の事務局を担ってくださっている近藤さんが、幅広い人脈でたくさんの方々に紹介のメールを送ってくださいました。そしてそんな方々からたくさんの評価のコメントを寄せていただきました。そのなかのふたつのメールをご紹介したいと思います。

元新座市議で、原発反対の活動をされておられる大矢道子様からのメールの一部分です。

「いい歌を教えてくださって、ありがとうございます。仮設で暮らす人たちの絶望、いきどおり、くやしさ、どうしようもない思いが伝わってきます。私が仮設住まいを強いられたら、きっと、こういう気持ちになるだろうと思わせられました。素人の方が、自分の思いを必死に言葉にした。それを言葉で、メロディで、声で思いを伝えるプロである枝璃貴子さんが歌にした。だから、これだけの曲になったのだと思います。」

そのあと大矢様のほうからも、多くの方々にYOUTUBEと私のHPなどの紹介メールを送っていただきました。

それから、私とも交流がある造形アーティストの西尾路子さんもブログで紹介してくださいました。返信メールの一部分です。

「伝えたい思いを普遍的に伝えられるコトバにして音楽にするってすごいことですね。詩の朗読も黙読との音としての響く迫力の違いはプロの技ですね。仮設の皆さまの力強い味方。すばらしいです♪」

おふたりには感謝の気持ちでいっぱいです。おかげさまで、観ていただいている件数が増えています。

「仮設より」ジャケット
クリックすると拡大(PDF)

前回の日記に書きましたように、「仮設にて」の朗読と歌のDVDを作るということになり、いろいろ考えた末に、支援の会の資金で無料のDVDを作るのが一番いい方法ではないかという考えに至りました。今年度の資金はもう残り少なくなっていますが、とりあえずそれで作れるだけの枚数を作ることにしました。今発注しているところです。このような悩み、いきさつをすべて理解して下さっている三納さんには大変なご苦労をおかけして、協力していただきました。三納さんは以前ご紹介したと思いますが、このホームページを作ってくださっている方で、ホームページに関するあらゆることをしてくださっています。やなせたかしさんのお仕事をされていた方です。今回のDVDで言えば、まずはココパームのコンサートをビデオで撮って、画像や音声などの編集、YOUTUBEにアップ、今度はそれをDVDにするために、ジャケットなど装丁面のデザインすべてを制作していただきました。これを全部それぞれの業者に頼めば大変な金額になります。

朗読の冨田さんも、舞台俳優としてたくさんの舞台に主役クラスで出演されていて、ご自分の企画でも、反戦などの社会問題に斬り込んだ舞台を上演されている方です。「仮設にて」の主旨に対する思い入れがあっての心意気でボランティアに協力してくださったと思います。

先日「仮設にて」の著者で、仮設住宅の自治会長さんの藤島さんから、来年5月17日に200人位のホールを借りたという報告をいただきました。冨田さんは快く出演してくださることになりました。是非、南相馬の皆さまの心に沁み入るような、素晴らしいコンサートになるように企画を考えたいと思っています。

もちろん無料コンサートです。それにつけては支援の会のご協力をいただくことになりますので、これから役員の方たちとよく相談しながら進めていきたいと思います。いろいろ難しい面がでてきます。コンサートをするための必要経費の他に、冨田さんはじめプロの方達にはボランティアだから無料でお願いすることはありえないので、無料コンサートを開催する側がお礼を支払うという形になります。支援の会で賄えるようにできるかが問題ですが、なんとか乗り越えていきたいと思います。こうと決めると、あと先考えないで無鉄砲に突き進んでしまう私に対して、いろいろ心配をして助言してくださる会長の山浦さんはじめ、役員の皆さんどうぞよろしくお願いいたします。

DVD作りのことに時間がとられ、12月21日の「枝璃貴子と気のいい仲間たち」のクリスマスコンサートの準備が遅れてしまいました。これからチラシの発送にかかるところです。もう皆さん予定が入ってしまっているのではないかと思うと、すごく焦ってしまいます。明日はレッスン日で出来ないので、今日のうちなんとか発送作業を頑張らないと大変なことになります。でも、門下生は半年前からコンサートに備えてレッスンしているし、仲間たちもいつものことですから、ちゃんと備えているはずです。冨田さんが私のゲストとして出演してくださるので「仮設にて」をぶっつけ本番でご披露します。内容には問題ありませんので、どうぞ楽しみになさってください。

YOUTUBE「仮設にて」はこちらです

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2014年11月14日(金)

ココパームのライブコンサートを終えて

7日の金曜日にライブハウスココパームでコンサートをしました。ココパームは昨年以来でしたが、ちょうど満席くらいに皆さん集まってくださいました。前回のウエブ日記に書きましたように、中身の濃い内容のプログラムを用意しました。今回は特別に大きな目的があったので、2週間ぐらい前から絶対に声の調子を整えようと、すごく神経をすり減らした日々を過ごしました。目的というのは、南相馬の藤島昌治さんの本「仮設にて」を歌にして、DVDを作ろうと思っていたからです。スタジオを借りて制作をすると費用がかかりますから、ライブをビデオで撮ったものが使えればすごく助かります。スタジオで作る場合は、何度もやり直す事ができるので、それなりにいいものを作ることが出来ますが、ライブ録音は一発勝負ですから、オリンピックでメダルをねらうフィギュアスケーターが試合に臨むぐらいの気分です。

しかも、「仮設にて」のメロディを、詩の内容ができるだけ伝わりやすく、表現しやすくするために直前まで直し続けました。スケーターが試合直前に振付をあちこち変えたと同じようなものです。当然練習はその曲にたくさん時間が取られ、他の曲は思うような練習ができないままコンサート当日になってしまいました。

ココパーム
ライブでMC

いよいよ2部でそのコーナーがきて、南相馬から駆けつけてくださった藤島さんにごあいさつをしていただき、 冨田さんの朗読が始まり、そして私が「仮設にて」を歌いました。目立つようなミスはなく無事終わったと思いました。ところが、すごく良かった時に頂くような拍手ではない感じです。成功したような実感がないまま次のプログラムに進んで、最後は皆さんに充分に楽しんでいただいた雰囲気でライブは終わることができました。

ココパーム
藤島昌治さんのごあいさつ
ココパーム
冨田さんの朗読とコラボ

それから親しい人たちで打ち上げに行きました。でもだれひとり「仮設にて」が良かったと言う人がいないので、きっとあまり良くなかったんだろうと思いがっかりして、「だれも感動しない曲だったらDVDにしてもしょうがないね」とみんなに言いました。そしたらなんと、圧倒された反応だったらしいことがだんだんわかってきました。「ナ〜ンダ、どっきりカメラみたいなことしないでよ〜!」という気分です。藤島さんは「あまりにも圧倒されて声がでなかった。仮設のみんなに聴かせたらきっと泣きますよ」と言ってくださいました。そして、来年の春に南相馬に行こうと思っていると伝えると、藤島さんが「今度は大きなホールを借りてコンサートをしましょう」と言われました。冨田さんに一緒に行っていただけるか聞くと、「予定するよ!」というお返事、俄然盛り上がりました。すごくいい企画を考えるとしましょう。

三納さんがビデオを編集してメールで送ってくださいました。「仮設にて」を周りの関係者の人たちに見ていただいたところ、すごくいいと言ってくれています。私と冨田さんは、自分の出来に対してはいろいろとまずいと思うところがありました。それでも、なにより大事なことは被災地の方達の窮状を出来るだけ多くの人々に知っていただくのが目的ですから、そんなことにこだわらずにそのままDVDにすることに決めました。支援の会の協力により、無料で配布できるようにしたいと思います。YOUTUBEにもアップします。

皆さん是非まわりの方たちに広めてくださいね。よろしくお願いします。

YOUTUBE「仮設にて」はこちらです

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2014年11月1日(土)

7日のライブは中味が濃い

11月7日は久しぶりに西荻のココパームでライブコンサートです。

今回は私も予想していなかったサプライズがあり、とても中味の濃いプログラムになります。

第1ステージは、以前WEB日記に書きましたが、榛谷泰明さんのお別れ会で歌わせていただいた「ひまわり」と「かろうと」を入れて、何度もココパームに来てくださった榛谷さんを偲びたいと思います。

竹の子文化祭

第2ステージは「仮設にて」という新曲を発表します。

南相馬に行った時、自治会長さんが書かれた本「仮設にて」をいただきました。曲にしてもらえるのではないかと期待して待っていたそうです。

この本は詩集で、たくさんの詩が載っています。私はこれを歌にするには、ひとつひとつの詩を個別に作曲するのではなく、本全体の中から、言葉を拾い集めて、1曲の歌に仕上げたほうが、メッセージが凝縮されていいのではないかと考えました。それでもそれはかなり難しい作業になるので大丈夫かなと不安に思っていました。

ところが10月に、吉祥寺から平井に行く電車のなかで、本を開いて印象的な言葉を拾って書き出したら、鉛筆を持つ手がすごいスピードで動いて、平井に着くまでに1曲の構想が出来てしまいました。メロディーもある程度浮かんだので、翌日まとめて仕上げました。そして、啄木の会を一緒に公演した冨田祐一さんに詩の朗読をしていただき、コラボにしたら素晴らしいのではないかと思い付き、冨田さんにお願いして見ると、快く引受けてくださいました。

冨田さんに「3月11日東日本大震災」という詩を、私のギター入りで朗読していただき、それに引き続き私が「仮設にて」を歌うという形です。29日に冨田さんが練習に来てくださって、休憩しながらですが、3時間近く練習しました。冨田さんの朗読は予想以上に素晴らしいものでした。私もその詩にどんな伴奏を入れるか、冨田さんの朗読の調子に合わせて工夫しました。練習が終わってから、冨田さんが「やはり音が入ると弾みが付くね」と言われていたので、このふたりのコンビはけっこう馬が合うんだなとあらためて思いました。

ところで、サプライズです! 著者の藤島昌冶さんを特別招待したところ、来られることになったのです。生で聴いていただけるのはすごく嬉しいし、藤島さんも楽しみにしておられるようでした。

とにかく、風邪をひかないように頑張りたいと思います。

当日のチラシはこちらです

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2014年10月19日(日)

竹の子文化祭に向けて

竹の子文化祭

このところ、10月26日の竹の子文化祭と11月7日のココパーム・ライブコンサートに向けた準備、その他いろいろやるべき作業が重なっていて大変です。丈夫な身体でバイタリティに溢れた人であったならもっと作業がはかどるだろうと思いますが、あいにく子供のころからの虚弱体質で、人一倍疲れるので予定が次々と遅れていきます。

若い頃、か弱い感じで羨ましいとかよく言われて、人の苦労も知らないでと恨めしく思ったものです。そんな訳で忙しさにまぎれて、たくさんの人たちに不義理をしてしまっています。今日、嬉しい電話がありました。以前教えていた人からです。啄木のコンサートの時に支援の会に入っていただいていたので、お礼の電話をしようと思いながらタイミングが合わずそのままになってしまっていました。ココパームライブの予約の電話でした。さっそくそのことを詫びると「先生のことはなんにも悪く思わないからいいんです。忙しいのがわかっていますから」と言ってくれました。そういえば酒田の人たちも「あなたはそんなことはなにも考えなくていいの」と言ってくれていました。ほんとに有難いことです。それに甘んじることなく感謝の気持ちをもって、期待に応えられるようにがんばっていこうと思います。

26日の竹の子文化祭は、2007年に竹ノ塚地域学習センターで「ギター弾き語り講座」を受け持たせていただき、その後弾き語りサークルとして活動してきましたが、以来毎年欠かさず出演を続けています。メンバーはその時々で入れ替わっていて、人数が多い時少ない時があり、レベルも高かったり低かったりしました。それでも毎回がんばって、多くの出演団体のなかにあっても、お客様の印象に残る結果を出してきたと思います。

竹ノ塚は吉祥寺からは電車の便が良くないので、片道2時間近くかかります。4時半過ぎに出ると、通勤ラッシュにあって、座れない状態になります。一昨年手術の後復帰したときは、立っているのがすごくしんどくて辛かったです。夕食を取る時間がないので帰りは10時過ぎに家に帰ってから軽く食べるようにしています。でも帰りの電車は空いているので、チョコレートなどをつまみながら本を読んで帰るのは楽しいひとときでもあります。こんな疲れること、どうして辞めないで続けているのか?それはとにかく合奏が好きだからです。ひとりではあまり上手く弾けなくてもみんなで一緒に弾くと何倍も上手く聴こえるのです。そして曲のアレンジや指導の内容が良ければ信じられないような力を発揮してくれるのです。そしてなにより、クラシックギターを弾きながら歌うグループは日本では他にないと思います。皆さんに「私の夢はバスを借り切ってみんなで日本各地を演奏して廻ること」と、事あるごとに言ってきましたが、気仙沼で合奏したことは少しだけ夢が叶ったと言えます。でももっと人数が多かったら嬉しいのですが。

竹の子文化祭
酒田西高校ギタークラブが市民音楽祭に出演(指揮をしているのが私)
(拡大できます)
竹の子文化祭
ギターアンサンブル
(父が教えていた上手な人たちで構成された ギターアンサンブル、左端が私)

まだ弾き語りをしていなかった20代の頃、最高で36人のギタークラブ(酒田西校)の指導をして、自分自身は6人のギターアンサンブルで、スクールコンサートなどの演奏活動をしていたので、その楽しさは忘れられません。

今回は10人ですが初心者が多いので、難しいパートと簡単なパートのふたつに分けました。幸いなことにすごく弾ける人が新しく入会したので、難しいパートは私が入らなくても上級者2人に任せることが出来ました。それなので私は初心者の人たちのパートを助けながら、アドリブ的な変化をつけたりできます。先日の練習では驚くほど皆さん急激にレベルアップしていました。やはり目標があって練習するということは何よりの上達につながるんですね。

20日はステージでのリハーサルです。きっと上手くいくことでしょう。

当日のチラシもご覧ください

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2014年10月2日(木)

榛谷泰明さんの「お別れの会」

9月19日は今年の4月に78才で他界された榛谷泰明(はんがい やすあき=写真)さんの「お別れの会」がありました。肩書きはあまりにも多岐にわたり、簡単には表現できませんが、晩年は執筆活動がメインであったと思います。詳しく記載すれば、「日活撮影所助監督部を経て、フリーの脚本家・演出家。 映画・テレビ・ビデオ・舞台劇の構成・監督。 口承文芸(民話)の記録・文字化。 事典・辞典の編纂。紀行作家」という感じです。私のコンサートに何度も来ていただいたので、私の関係者の多くはお会いしています。

榛谷さんとの出会いは2005年、「ほめことばの事典」という本の出版記念パーティーで、元NHKディレクターをされていた下川さんの紹介で2曲歌わせていただいたときです。元東大総長さんや瀬戸内寂聴さんのお話などもあって、盛大なパーティーでした。その時出席されていた「南極物語」をプロデュースされた蔵原監督やドキュメンタリー番組などを多く作られた鎌倉悦男さんとは今も親しく交流させていただいています。

榛谷さんは故郷の北海道と東京を半々位で暮らしておられましたが、東京におられる時にはいつも私のコンサートに来てくださいました。いろんな分野に詳しくてまるで百科事典のようでした。すべてのベースは「自然と人間」であったと思います。

まだ出会って間もない頃、ライブで「つる」を歌った時に、それに触発されて映画音楽の「ひまわり」に詞を作ってきてくださいました。内容は反戦歌で、榛谷さんのアイディアで途中メジャーに転調することにして、オリジナリティ溢れる楽曲となりました。それから何年かして「老後の楽しみになった」とおっしゃって「かろうと」という詩を書いて持ってこられました。すごく長い文章だったので、これを歌にするのは至難の業だと思いましたが、頑張って作曲したところ、これまで無いような民話調の歌が出来上がりました。出来たことを連絡すると、久我山のご自宅から吉祥寺まで、裸足にサンダル履きで歩いて来られました。日本中はもとより世界も歩き回った榛谷さんにとってはご近所という感覚だったようです。そして弾き語りで聴いていただくと、「想像以上の素晴らしい曲になったなあ」とすごく感心してくださいました。なにしろ「山本直純のオーケストラがやってきた」の脚本を書かれていて音楽には造詣が深く、交響曲を1度聴くと全部覚えられるという恐ろしい才能を持った方にこんなに褒めていただいてすごく光栄に思いました。

南相馬コンサート
「お別れの会」で歌っているところ
南相馬コンサート
「お別れの会」では「ひまわり」と「かろうと」の2曲を歌いました

「お別れ会」ではこの2曲を歌わせていただきました。一般受けするような楽曲ではありませんが、そこに集まられた方々は榛谷さんの世界を理解されておられる方ばかりなので、大変に喜んでいただきました。「かろうと」の最後が「身体を離れた私の魂を夕月が微笑んで見ていた」という歌詞で終わりますが、身体を離れた榛谷さんの魂が微笑んで見ていてくださったでしょうか?

お別れの会は、若い頃から親友であられた俳優の山口崇さんの献杯で始まり、親しかった方々の思い出話、舩水さんと私の演奏のあと、在りし日の榛谷さんの姿がDVDで上映されました。驚いたことにチェルノブイリの原発の頃から、もし日本の原子力発電所が爆発したら、というお話をされていたのです。今お元気なら、私の被災地支援に関してもいろんなお話を伺えたかもしれないと思うと残念です。

南相馬コンサート
榛谷泰明さんを偲んで出席された皆さま(拡大できます)

一昨年の4月に榛谷さんが杉並区内の図書館で「縄文のお話」の会をされるという連絡があり、そこなら自転車で行ける距離なので、方向音痴の私は前日図書館を探しに行ってみました。帰り道を間違えて随分疲れたのですが、その夜今まで経験のない腹痛がおきてしまいました。翌日「縄文の会」に行けなくなった旨を主催者に連絡して病院に行ったところ、卵巣腫瘍であることがわかり4月の末に手術をしたのです。ところが奇しくも榛谷さんもその直後に大腸がんであることがわかって手術されていたのでした。北海道で療養生活を送られたので、その後お会いできないままになってしまいました。お手紙のやりとりは何度かあって、私も新曲の「ひとやすみ」を録音して送ったりしました。闘病生活の間も執筆活動を続けられて、「一期一会」と言う本を亡くなる2か月前の2月に出版されました。あとがきに「来世での一期一会、さらに末代までの一会を願って、ひとまず鉛筆をおく。みなさん、ありがとう。みなさん、さようなら。」と記してあるのを見たとき、なんて悲しかったことでしょう。

でもこのようなあっぱれな最期を迎えられた晩年の榛谷さんと仲良くしていただいたことを誇りに思い、私も人間として見習いたいと思っています。

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2014年9月19日(金)

南相馬「歌とお話の会」

7日の午前11時、自治会長さんの藤島さんが車でホテルまで迎えにきてくださいました。集会所ではご婦人たちが集まって和気あいあいの雰囲気でいろんな飾り物を作っているところでした。小さな人形や飾り物などです。私も皆さんと一緒にお茶や果物をいただきました。そして昼食のため皆さんは一旦帰られました。

1時から「歌とお話の会」が始まるので準備をしていると、先ほどの方達がまた集まってきました。

私がその日に考えていたプログラムの内容は3ブロックに分け、初めの4曲が童謡や福島県にちなんだ歌や子守唄などで和んでいただいて、中間の4曲は私の苦労話をしながら絶望的な時期に作った曲で共感し合えるようにして、終わりの4曲で希望をもって頑張っていこうというメッセージを送るという組立でした。

南相馬コンサート
集まってくださった皆さま

ところがそれでは始めようと皆さんのお顔を見ると、午前中のあの和やかだった時とおなじ方達とは思えない暗い表情になっています。とても肝心の話に触れないまま童謡を歌っても和んではいただけない雰囲気を感じました。それで思わず予定とは違っていきなり本題に入り、支援コンサート活動をしている思いを最初の挨拶から話し始めていました。子供を亡くしたときから曲が作れるようになったので、辛い思いをしている人たちと悲しみを分け合って頑張っていこうというコンサートをライフワークとして続けてきたこと、一昨年自分が命に関わる病気をして、思い残すことは被災地に行きたいということだったということ等です。この時の皆さんの反応も今までにないものでした。8歳の子供を亡くしたと言ったとき、「まぁー ・・・」という何人かのため息のような声が聞こえました。それは私をすごく可哀想がって労わるような優しいものでした。絶望を味わった方たちならではの思いやりを感じました。「ここで私が同情されてどうなる!」と一瞬焦りました。童謡など4曲を歌いましたが、まだ暗い表情は変わりません。やはり初めに暗い話をしたのが良くなかったかな?という思いが頭をよぎりました。そのまま続けて2ブロック目に入って「あじさい」などの暗い歌を4曲歌うのはいかにもまずい!と、さすがの私もその勇気が出なかったので、「それではここで気分を変えてカンツォーネのマンマを歌います」と明るく言って、予定していなかったテンポが速くて少し明るめの「マンマ」を歌いました。その分1曲減らさなければと思い、皆さんに「絶望から立ち直ったように見えて、周りの人達から強いと言われていたけれど、実は何度も心が折れたという内容の『ステンドグラス』という曲と、あまり頑張ろうとしすぎると病気になってしまうから思い切って休むことも大事という内容の『ひとやすみ』という曲がありますがどっちが聴きたいですか?」と聞いてみました。どっちとも言い難いという感じでしたので、「両方歌ってみましょうか?」と言ってみると、その時初めて嬉しそうな表情になってうなずいてくださいました。ホッとしました。結局この2曲が1番拍手が大きかったのです。そして最後の方の希望的な歌を歌いました。でも今の状況では希望的な歌はあまり心に響かないんだなという印象でした。それで、みんなで歌うコーナーに入る前にテーブルを出していただき、お茶を飲みながらのスタイルに変えてみました。

南相馬コンサート
皆さんと会話

少し皆さんと会話をしたあと、山浦さんが70歳を過ぎてから初めてギターを始めて、80歳でリサイタルをすると言って頑張っている姿を見ていただき、その後みんなで「いつでも夢を」と「時代を越えて」(歌唱指導をして)を一緒に歌って終了しました。

南相馬コンサート
山浦さんの弾き語り
南相馬コンサート
皆さんと一緒に歌いました

皆さんが帰られる時に上品なご婦人が「とても心に染みました」と声をかけてくださいました。

藤島さんはその時間帯に東電の人たちが来ていて聴けなかったので、感想を伺えなかったのが残念です。

なんとか無事終えることが出来ましたが、3年半も4畳半ひと間(2人以上の場合はふた間)の仮設住まいで、何かと不便な生活を強いられている絶望とあきらめのような思いが私の心にも重くのしかかりました。「仮設にて」の詩の中に「姥捨山」という詩もあります。心の支援は並大抵のことではできないと思いました。帰ってからあまりの大変さに数日落ち込みましたが、今は「仮設にて」をCDにしようとか、あまり間をあけないでまた行こうとか、前向きに考えています。

山浦さんと本田は、「皆さんすごく真剣に聴いてくださっていてよかった」という感想でした。

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2014年9月12日(金)

南相馬の仮設を訪れて

9月6、7日と南相馬に行って来ました。6日早朝の福島行の新幹線ですが、朝が苦手の私は予定の時間に起きそびれて、新幹線の時間に間に合わないかもしれない状況になり危機一髪で乗り込みました。かなり肝を冷やしましたが、思えばそれが今回3人連れの南相馬行を暗示していたのかもしれません。

福島駅から鹿島区の仮設住宅に行くには、震災により電車はまだ動いてなく、1日4本しかないバスで2時間位かかります。バスは原発の被害で知られた浪江町も通って行きます。除染の黒い袋がたくさん並んでいる景色でした。お昼頃、仮設に近い原町のホテルに着きました。すごく昔のホテルというか、宮沢賢治のお話にも出てくるような雰囲気でした。食堂もないということなので、お昼はどこで食べたらいいか聞くと、お蕎麦屋さんがあると言われました。途中で見た立ち食いそばやさんのことでした。派手な看板を掲げた飲食店は震災以後営業していないのでした。

南相馬コンサート
鹿島区仮設住宅

昼食後、仮設住宅の集会所を見ておくために2両編成の電車に乗り、鹿島で降りてタクシーで福祉センターと仮設に行きました。福祉センターでご挨拶してから、今回「歌とお話の会」をする集会所の自治会長の藤島昌治さんとお会いしました。藤島さんはとてもにこやかで親しみやすい方で、小高区の海辺や町を車で案内してくださいました。ここにも津波の後の海辺に1本松が残っていました。海辺で工事をしている人が少しいるだけで、道路は全然人も車にも出会いませんでした。

南相馬コンサート
ご婦人たち手作りの飾りがある集会所

そして禁止区域になっている小高区の町は住宅がたくさんあって、一見普通の町並みが存在しているかのようですが、すべての住宅の1階部分が津波にやられて何もない吹き抜けのようになっています。もちろん人っ子ひとりいません。駅の自転車置き場には震災の日に高校生たちが置いた自転車がそのまま残っていました。藤島さんの家も残っているそうですが、3年半も経ってもうだめだそうです。こんな近くに家があるのに、避難地域解除が今だされないので仮設住宅の4畳半にひとりで住んでおられます。藤島さんが今年出版された「仮設にて」という詩の本をいただいたりして、ホテルに帰りました。夕飯は一体どこで食べることができるのかとホテルの人に聞いて、そのお店に行ってみると予約でいっぱいで、そこで教えていただいた居酒屋さんでなんとか夕食にありつけました。翌日の「歌とお話の会」に備えて夜「仮設にて」を読んでみました。いろんな支援に対する感謝の思いも書いてありますが、それを圧倒する仮設での悲しみ、苦しみの心の叫びの重さに私はショックを受けました。翌日のプログラムの内容は一応決めてきましたが、それではダメなのではないかと、心づもりが根底から崩れてしまい、途方にくれてしまいました。藤島さんの1篇の詩を紹介しましょう。

アルパカ

とてつもなく長く 耐えがたい日々が過ぎて 3度目の冬がきた
絶望とあきらめを 引きずりながら 眠れぬ夜が繰り返される

花を植えてみたり 遊具を造ってみたり イルミネーションを飾ったり
元気を取り戻そうとするが 成すすべのない徒労感だけが残る

そんなときに 2頭の小やぎがやってきた アルパカじゃなくてやぎがきた
動物はいいね!本当にいいね!みんなの心に明るい 希望の灯がついた
そのうちに アルパカもくると言っていた みんなの心がいやされた
どんな名前をつけようか みんなみんな笑顔になった

私も小やぎに餌をあげさせていただきました。私の手のひらから一粒残らず上手に食べてとても可愛かったです。

南相馬コンサート
2頭の小やぎ

7日の「歌とお話の会」については次回にいたします。

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2014年8月26日(火)

南相馬「歌とお話の会」の準備

9月6日、7日に南相馬に行ってきます。7日が本番ですが、福島からのバスの本数が少なく時間もかかるので、前日から行くことになりました。

これまでの気仙沼の活動では、ボランテイアセンターの規則がいろいろあるために、私が望んでいた仮設住宅の方たちとは接することができず、コンサートとして活動をしてきました。

南相馬の方は事情が違います。仮設住宅が3058戸もあり、ボランテイアセンターはその近くにあって、密接に関わっているようです。集会所は36室あり、そのなかのひとつの集会所で「歌とお話の会」をすることになりました。いよいよ私が目指しているソングセラピーをする時が来たのかなと思います。でもその集会所はかなり広いらしいので、何十人も集まるとしたら相手のお話をいろいろ聞くのは無理かもしれません。でもできるだけ私の一方通行ではなく、いろいろお話が聞けたらいいなと思っています。仮設の方たちはなかなか見通しがたたない状況が続いていると伺っているので、かなり深刻だと思います。その日が近づいてきて、なんの歌を選んで、どんなお話をしたらいいのかと、その難しさに直面しましたが、今日ようやく内容を決めることが出来ました。それに沿って、あとは状況を見ながら柔軟に対応できるようにしたいと思っています。

気仙沼の場合はたくさんの人数で訪れて、景気が活気づくようにという目的がありました。

今回はそれとは全然違って少人数でいいので、支援の会の会長であり、お弟子さんでもある山浦さんが同行してくれることになり、本田と3人で行ってきます。山浦さんにも1曲披露してもらうことにして、 70過ぎてからギターを始めて、夢をもって頑張っているところを見ていただこうと思います。

とにかく少しでも精神的な応援ができるように頑張ります。

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2014年8月12日(火)

第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」を終えて

8月10日の「枝璃貴子と気のいい仲間たち」無事終えることが出来ました。

折からの大型台風11号が各地で猛威を振るうなか天気予報は刻々と変化して、10日の東京はどうなるのか当日になってもよくわからない状況になりました。朝は曇りで速度が遅いので夕方までは曇りという予想を見て、さすが強力な晴れ女と安心したのも束の間、10時頃から激しい雨が降りだしました。台風が急にスピードを上げたのでした。でも関東地方直撃ではないので、中止ということは1度も考えませんでした。ただ、雨や風が激しくなれば出演者たちや、お客様が来られない人が続出するだろうと思いました。そういう事態を予測した時、思いがけない決意が心に湧きあがったのです。「ここまで大変な状況になってしまったからにはどんなことになっても必ず決行する」という思いです。あんなに心配性で細かい心配をたくさんしていたのに、それらは一気に吹き飛んだのでした。そんな見上げた決意のもと会場に行きましたが、雨は降ったり止んだりという状況で、そんな修羅場になることもなく、予約されていたお客様も数名来られなくなっただけで、皆さん足を運んで下さり盛況な雰囲気で会を始めることが出来たのでした。

前回のいろいろな不手際にショックを受けていた私は、このところ「気のいい仲間たち」を8月と12月の年2回、私と本田の2人だけで準備、開催することに限界を感じていました。始めた時からもう15年経っています。その間にはいろいろなことが変化しました。夏はまず、日本が地球温暖化の影響で気候が変わり猛暑ということが起きて来ました。出演者もお客様も大変です。それから私の仕事が年々忙しくなり多方面にわたるようになり、いつも時間に追われている状況になってきました。それから本田も仕事が忙しく、体力的にも昔のようにはいかないと傍目に見て感じます。そんなことを身近な人に相談をした結果、夏はやめようという事になったのです。

私はほんとはこの会が大好きなのです。門下生も仲間たちもお客様もその日はみんな等しく大事な存在という考えかたのもとに、みんな心ひとつになって楽しむ会であり、私は生徒の指導が好きでその成長を見ることが好きで、またみんなで合奏することも大好きで、ゲストの素敵な仲間たちが年々活躍していくことも嬉しくて、また懇親会でお客様ひとりひとりに自己紹介をしていただき親交が深まっていくことも嬉しくて、みんなが幸せな気分になっていただきたいという、私の夢がいっぱい詰まっている会なのです。

前回終わったあと、身近な人たちにもっと会をみんなで作りあげるという意識をもってもらわないと頑張っている甲斐がないと言ったせいか、今回はみんな積極的に動いてくれてほんとに嬉しかったです。

そのおかげで、コンサートも懇親会も大成功!三納さんが撮ってくださった写真が送られてきましたが、みなさん素晴らしい笑顔の写真ばかりです。こんなことってすごく珍しいと思います。全部の写真を見ていただきたいところですが、昨今は個人情報の厳しいご時世で、そういうわけにもいかないのが残念です。

第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」 第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」 第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」 第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」
第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」 第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」 第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」 第29回「枝璃貴子と気のいい仲間たち」
コンサート会場の「泉の森会館」(拡大できます)

三納さんがビデオも撮ってくださっているのでまたユーチューブに出すことができると思いますがもう少し時間がかかります(8/25 追記:こちらからご覧ください)。

雨というのは災害ももたらしますが、一方では再生の意味もあります。晴れ女である私の節目節目に大雨が降った経験からして、「気のいい仲間たち」が今年12月の第30回目から、年1回のより良い会に生まれ変わるための雨だったのかもしれません。

台風の被害を受けられた皆さまにはこんなことを書いていることが申し訳なくて心が痛みます。早く通常の生活に戻られますよう心よりお祈りいたします。

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2014年7月22日(金)

「気のいい仲間たち」の準備

酒田のコンサートが終わっても、その余韻でいろんなことがありました。

市長さんに祝電のお礼のお手紙を書きましたところ、思いがけなくメールでお返事をいただきました。実際には市長さんは今病気療養中で、市長代行をされている副市長さんからです。それには、酒田と武蔵野市が交流が深いということが書かれていました。そうだったんです。うっかり忘れていましたが酒田と吉祥寺(私の住所)は友好都市なのです。なんか奇遇ですね。

それから支援の会の近藤さんが、アンケートの集計を出してくださいました。私のアンケートはいつもプログラムの曲目を全部書いて、その中で良かった曲に丸を付けていただいています。書いてくださった方は80数名ですが、それによると全11曲中、1位「心のダイアモンド」2位「時代を越えて」3位「あじさい」4位「ステンドグラス」でした。全部オリジナルです。5位の「アメージング・グレース」以下はオリジナル以外の曲です。MCで、東京で過ごした人生などを語ったことがこのような結果につながったと思います。気仙沼でもそうですが、MCの内容を練っていくことはほんとに大事な要素になります。ただし、こういうコンサートは全身全霊を傾けることになるので大変ではあります。

8月10日に行う29回目の「気のいい仲間たち」ではちょっと気分を変えて、気楽な歌を歌おうと思っています。とはいえ、それだけでは気がすまないのが私の性分で、終戦記念日も近いので反戦歌も入れてみました。

前回の「気のいい仲間たち」は段取りがうまくいかなくて、散々な思いをしました。これはスタッフが足りないことが大きいので、今回はスタッフをふたりお願いすることにしました。今度は大丈夫だろうと思います。

それから狛江にいいホールを見つけました。少し広めで設備もいいようなので、楽しみです。お客様も出演者たちも、みんなで楽しめるように頑張りたいと思っています。

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2014年7月4日(金)

続・故郷はありがたきかな

私が子供だった頃、酒田にはクラシック音楽の有力な先生方が何人もおられました。声楽の加藤千恵先生はじめ、ピアノ、バイオリンなど有名な先生たちです。父もクラシックギターがまだ世間で知られていない時代に普及させたことで貢献しているのではないかと思います。本格的な市民オペラも千恵先生の主催で4年に1度上演されていました。今更ながら気が付いたのですが、酒田は昔からクラシック音楽が盛んだったということです。今回コンサートをしてみて、お客様の音楽文化レベルの高さをあらためて感じることができました。

永年理解されにくかった、クラシックギターと声楽の基盤の上にポピュラー音楽を融合させた独自の世界が、1回目ですんなり理解され受け入れられたという実感は、驚きと共にこの上ない喜びとなりました。たくさんの方々がアンケートを書いてくださいました。まさにそのことが書いてあるものもありました。それに10歳未満のお子さんが、素晴らしかったという感想と、よかった曲目まで書いてくれているのに驚きました。それも、オリジナル曲の「あじさい」などです。

とにかく、クラシックのコンサートでもなく、普通のポピュラーのコンサートでもない、子守唄や童謡など様々なジャンルを取り入れ、MCにも力を入れている、このようなスタイルのコンサートは酒田では初めてだったようです。

コンサート終了後、父にギターを習っていたと言ってくださる方がなんと多かったことでしょうか。いろいろお土産を持ってきてくださいました。

不思議なこともありました。父が東京に移り住むときに教室を託してきた山田君の消息がつかめなくて残念に思っていました。結婚前に何年か酒田で父のギター教室を手伝った時代があります。当時彼は高校生で、一緒に合奏をしたりしていましたが、ユーモアがあって人気者でした。ところが、コンサート会場を引きあげてロビーに出たら、そこに山田君が立っていたのです。大きな体つきで少し童顔な、そのころのままに見えました。「山田君?」と言うと驚いて呆然としていました。文化センターに来る予定はなかったのになんとなく入ったそうで、ポスターは見たけれど名前が違うので、私であるとはわからなかったと言っていました。あとでメールを送ってくれましたが、今はなんと山田惣右衛門という名前で画伯になっていました。私の最初のCDを持っていて、ホームページを見たら今の方がいいと思うと書いてありました。嬉しいことです。

それから、当時いちばん気が合っていた東京からお嫁に来たOさんとの再会もありました。最初、ギター教室の問い合わせで玄関に入って来たとき、私が応対したのです。ひと目見たとき一瞬「ソフィアローレン」か?と思いました。お互いに初めて会った時に嬉しい出会いと感じたようです。彼女もすごい苦労の連続の人生を送っていたそうです。東京に帰ってきてから電話をしたら1時間も話し込んでしまいました。なんだか父が引き合わせてくれたような気がしないでもありません。

今回の酒田コンサートは、これまで細い1本道を、時には迷ったり挫けそうになったりしながらも歩き続けてきたことに対して、神様からのご褒美だったような気がしています。

こんな幸せをもたらしてくれた同級生たち、それに対して協力してくださった皆さま、いろいろ世話をしてくれた従姉妹たち、ほんとにありがとう!

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2014年6月27日(金)

故郷はありがたきかな

荘内日報の記事(拡大可)

いよいよ酒田で初めてのコンサートをする日が訪れました。(そのいきさつについては2013年9月30日のWEB日記に書きました。重複するのでここでは書きません)

まず先に結果からお知らせしますが、コンサートは大成功に終わりました。お客様は私が永年作り上げてきたコンサート内容に大変感動して下さり、喜んでくださいました。コンサートの実行委員をしてくれた同級生たちは「大成功!大成功!」と大喜びで、スタッフとして同行した本田がそれを見てすごく感動したそうです。コンサート終了後すぐ挨拶に出て行くと、思いがけない懐かしい人たちがたくさん来られていて、歓喜の渦といっても大げさじゃない雰囲気になりました。私は30年も封印してきた酒田に大歓迎で受け入れられたという喜びでいっぱいになりました。昨日までは興奮冷めやらぬ感じでしたが、ようやく今日は冷静になってWEB日記を書く事にします。

前日の6月21日は酒田西高校同窓会の「酒田有煒会」があり、今年の当番幹事である同学年の仲間として出席しました。そして3曲弾き語りをして、あとは「ミニミニ歌声喫茶」という、みんなで歌うコーナーで6曲ギター伴奏をしました。当番幹事でもあり翌日のコンサートの実行委員である同級生たちの考えで、コンサートを聴きに行きたいと思っていただくために、私が歌うのは3曲にして、あとは伴奏だけという計画です。酒田の同窓会は初めて出席しましたが300人近い出席者だったので驚きました。

懐かしい人たちとの再会もありました。ボーカルスタジオで一緒の1学年下だったふたりが、酒田の音楽界で大活躍していているとのことで、嬉しい再会でした。一番笑えたことは、幼稚園が一緒だったチエコちゃんがいて、全然変わらない顔ですぐわかったのですが、「幼稚園に行く時迎えに行っていたけど、お母さんがいつもタカコは風邪ひいてるから今日は行けないと言って、ほとんど幼稚園行ってないでしょ!」と言われたことでした。終わって帰るときには、たくさんの人たちから「明日も行くからね」と声をかけていただきました。

酒田コンサート 酒田コンサート 酒田コンサート
酒田コンサート 酒田コンサート 酒田コンサート
コンサート会場の酒田総合文化センターにて(拡大できます)

翌22日コンサート会場の酒田総合文化センターは、私が通っていた琢成小学校の跡地に建てられた会場だったのでびっくりです。酒田大火以後、街はすごく変わっています。会場に入るとお花がいくつか届けられていて、酒田有煒会の会長さんである松田さんからも立派なお花が届いていました。松田さんは当日山形市の有煒会に出席とのことで、有煒会ってなんてすごいんだろうとあらためて思いました。実行委員をしてくれた3年6組のメンバーがすごい行動力でいろいろ働きかけてくれたおかげで、新聞や情報誌に記事を出していただき、市長さんからの祝電まで届いていました。

コンサートは、実行委員長の佐藤志美さんが市長さんの祝電を読み上げるところから始まって、私がステージに颯爽?と登場という段取りです。お客様はたくさん入っていて、暖かい拍手で迎えてくださいました。私はいつものコンサートより緊張していたと思います。椅子に座って挨拶を始め、「20代で結婚して以来ずっと東京で暮らしていました」と言うと、前の席の人たちが何か合図をしています。暗くて良く見えなかったのですが、同級生のようでした。「なに、なに?なんか間違えた?」と聞くとお客様が笑っています。全然覚えていないのですが「ずっと酒田で暮らしていました」と言ったんだそうです。何を間違えたかわからないまま「東京で暮らしていました」とまた挨拶を続けました。会場も私も和んだのでかえってよかったかもしれません。

長くなりますのでこれくらいで、続きは次回に書く事にします。

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2014年6月19日(木)

酒田コンサートに向けて

気仙沼から帰って少しだけゆっくりしてから、あとはずっと時間に追われてなんという忙しさだったことでしょう。6月8日は、酒田西高校の同窓会である「東京有煒会」のゲストとして30分程度のミニコンサートがありました。そして6月21日は「酒田有煒会」のゲスト、22日が酒田コンサートになっています。それぞれ内容が違うので3通りの準備が必要で、たった4週間位の期間では思っていた以上に大変でした。それではもっと以前に準備をしておけばよかったのにと思われるかもしれませんが、啄木のコンサート、気仙沼コンサートなど目前のコンサートの準備で手一杯で他の準備はできませんでした。ようやく20日の出発にそなえて、準備も目処がついてきたところです。

何はさておき8日の「東京有煒会」のミニコンサートは成功することが出来ました。有煒会では毎年いろんなジャンルのゲストをお願いしてしていますが、私は10数年前だったか、私たちの学年が当番幹事だったときに同級生から電話があり、ゲストを頼まれたのが1回目でした、その後再び依頼がきて2回目、そして今回で3回目になります。ホテルのパーティー形式で丸テーブルがいくつもあって、食事をしながらアトラクションを楽しむという形なので、いつもガヤガヤしています。それなので、今回はなんとか静かに聴いてもらえるようにMCの内容をすごく考えました。今回何十年ぶりに酒田に帰り、コンサートをすることになったことと、支援の会が出来たいきさつなどを短い時間内で上手く伝えられるようなMCと6曲の演奏を、通しで30分以内に収まるよう何度もタイマーで時間を計って練習を繰り返しました。タイムを縮めようと頑張るアスリートの気分です。その甲斐があって、関係者たちが驚いた程、静かに真剣に聴いてもらうことができ、感動したとたくさんの方々から声をかけていただきました。

昔父にギターを習っていた方がふたりいらっしゃいました。私が子供の頃の写真を持っているそうです。酒田からの来賓である教頭先生や恩師の方々に酒田の招待券をお渡しすることもできました。「酒田有煒会」の会長さんも出席されていて、感動したからとおっしゃってチケットを10枚持って行ってくださったと酒田の同級生から報告がありました。

少し前までは浦島太郎の気分でしたが、なんだか生まれ故郷で初めてコンサートを開くことができるということに想像以上の嬉しさが湧いてきて、なつかしさと喜びが入り混じった思いに変わってきています。とにかく、成功できたらいいなと願うばかりです。

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2014年5月28日(水)

続・気仙沼慰問旅行を終えて

2日目の18日はいよいよ大島での初コンサートです。1週間位前に菅原さんから、大勢のお客様が来られるかもしれないということや、子供さんたちも来られるということを伺いました。それまでは仮設住宅の方たちに、こじんまりとソングセラピー的な「歌とお話の会」というイメージで構えていましたが、全然雰囲気が違いそうだと判断して、急遽プログラムの内容を変えて童謡なども取り入れました。被災して今もすごく苦しんでいる人だけを対象にするのではなく、その思いは随所に取り入れつつ、全体的には明るい力強い感じのコンサートにすることにしました。

実際コンサートを始めてみると、そういう私の思いは伝わっていると、皆さんの真剣な表情を見ながら感じとることが出来ました。今まで経験したことのないような、お客様からの重量感のある「気」が会場に満ちていることを感じました。

前半は私一人で、私の苦労話を取り入れながら、皆さんが受けた悲しみを共有できるような曲を9曲歌いました。そして後半は楽しんでいただけて、希望に向かう内容に切り替えました。まずは今回お世話なったひまわり号の船長、菅原さんのために作った「ひまわりさん」を皆さんに覚えていただくために歌唱指導をしてみんなで一緒に歌いました。それから、お忙しいなか駆けつけてくださった武蔵野中央病院院長の牧野英一郎さんにゲストとしてバイオリン演歌を10分ほど演奏していただきました。楽しいコーナーになったと思います。

その後再び私が、皆さん可能性をいっぱい持っているダイアモンドの原石だから、それぞれ磨いて輝かせようというお話をして、「心のダイアモンド」を歌いました。そして、今現在一生懸命磨いている私の門下生たちと、九州から加わったウクレレ弾き語りの池上さんと一緒に、オリジナルの復興ソング「時代を越えて」を歌いました。この時の拍手はその日最高の大きな拍手でした。最後は「花は咲く」で締めて終了しました。

気仙沼支援コンサート 気仙沼支援コンサート 気仙沼支援コンサート 気仙沼支援コンサート 気仙沼支援コンサート
当日の会場で(拡大できます)

終わると皆さんから声をかけていただき、たくさん握手をしました。「また来てください」とも言っていただきました。そこで驚いたハプニングがありました。「ひまわりさん」の歌詞の中に「もうすぐ赤ちゃんが生まれるときには海に抱かれて進む船」(実話)と言う箇所があるのですが、その時の赤ちゃんが3歳になって来ていたんです。恥ずかしいのか眠いのか、お母さんに抱っこされて顔をそむけていましたが、きっとこれまで騒がれすぎていて、「またか」とウンザリしていたのかもしれません。もっと大きくなったら「ひまわりさん」を歌ってくれると嬉しいです。

とにかくみんな達成感を感じて、心地よい疲労感と共に帰ってくることが出来ました。

後日、菅原さんと「アインスくりこ」の白幡さんから、とても評判がよかったとの情報をいただき、みんなよかった、よかったと喜んでいる次第です。

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2014年5月21日(水)

気仙沼慰問旅行を終えて

17、18日は支援コンサートで気仙沼に行ってきました。朝早く新幹線で出発して、お昼頃に気仙沼に到着しました。メンバーは山浦さんと近藤さんの中学の同級生(九州の花宗中学)6名を含めて総勢18名です。今回は気仙沼から船で大島に渡り、18日に大島の自治会館でコンサートです。

その前に、昨年、1昨年とコンサートをした紫市場に立ち寄り、副会長の坂本さんや商店の方たちにお会いして商店街で昼食をとりました。気仙沼の町並みは、初めて訪れた時は大きなドラッグストアが1軒営業していただけで、お店はすべて閉まっていましたが、今回はだいぶお店が開いていて、閑散としているものの、人々の姿も見ることが出来ました。

昼食後に、菅原さんの「ひまわり号」に乗って大島に向かいました。途中、菅原さんが津波に出会った場所を教えてくださって、大きな津波の映像が目に浮かんでくるようでした。

昨年に続いて、気仙沼ちゃんの宿「アインスくりこ」に到着して、気仙沼ちゃんとご主人の白幡さんが出迎えてくださいました。白幡さんが、「枝璃さんがコンサートをするので自治会館をすごく掃除をしているよ。小泉進次郎が来た時はそんなに掃除しなかったけど」と言って早速みんなを笑わせてくださいました。

気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行
気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行 気仙沼慰問旅行
紫市場から「ひまわり号」で気仙沼ちゃんの宿「アインスくりこ」へ(拡大できます)

夕食の時は昨年同様、大広間のステージで私たちを紹介してくださって、門下生4人と福岡のメンバーでウクレレの弾き語りをされている池上さんが加わって「花は咲く」をみんなで弾き語りをしました。今回は私ひとりでも2曲ということでしたので、「アメージンググレース」を弾き語りで、「千の風になって」をカラオケで歌いました。

白幡さんはとてもトークがお上手な方で、私のボランテイア活動に対する思いや、門下生たちの合奏唱に対する評価(特に高齢者が頑張っていること)などをアピールしてくださいました。私のことを「こういう人が総理大臣になればいいんです」というオチもあり、大笑いです。

食事は前回同様、新鮮で珍しい魚介料理が食べきれないくらいたくさん並べられました。デザートは気仙沼ちゃん手作りのゴマ入りアイスクリームです。私は人の分もいただいて、ふたり分のアイスクリームを食べました。食事中は昨年のようにカラオケ大会が始まり、皆さんワンタッチでいろんな扮装をさせられて歌っています。私たちのグループは九州勢がすごい歌唱力の人が多くてびっくりでした。

翌日はいよいよコンサートですが、長くなるので次回にいたします。写真もまだ送られてきていないので、次回に入れようと思います。

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2014年5月6日(火)

気仙沼行の準備

チラシ5月17、18日は被災地支援として、気仙沼に行くことになっています。

支援と言ってもなかなか難しい面があり、ようやくすべてのスケジュールや内容が決まりました(右のチラシをご覧ください。拡大できます)。

気仙沼行きはこれで3回目になります。

1回目は2年前に整体の会社「大勝」さんとコラボレーションということで、紫市場のカドッコというスペースでライブをさせていただきました。その時は街に人が見当たらないような状況で、ほとんどお客さんがいない中で演奏しました。正直空振りに終わった感じです。そんなことがあったので、紫市場の副会長をされている坂本さんが、昨年の夏に気仙沼のお祭りのイベントとして「枝璃貴子コンサート」を組み込んでくださって、前年と同じカドッコで、盛況なコンサートをさせていただきました。それはとても有難いことで坂本さんには感謝しています。只、元気をなくしている人たちのために歌いたいという目的とはちょっと違いました。仮設住宅の集会所で歌いたいという思いは規則などに阻まれ、ボランティアセンターを通すことができないことがわかったので、人脈に頼ることしかないという思いを抱いて帰ってきました。それでも、地元で宿泊したりお土産を買ったりということでは、11人位のメンバーで訪れ、合奏なども喜んでいただけたことは意義があったと思っています。

そして3回目はなんとしても仮設住宅の方たちに聴いていただきたいという思いを実現する決意で、昨年出会った方たちにお願いの手紙を出したり、電話をかけたりしました。そして、ひまわり号の船長さんである菅原進さんが現在仮設住宅におられるので、いろいろお骨折りをいただき、仮設住宅の近くにある自治会館で「歌とお話の会」をさせていただくことに決まりました。菅原さんは今ご自身で家を建てている最中ですごく大変なところ、ほんとにお世話をおかけしてしまいました。

今回は総勢17人で、昨年喜んでいただいた合奏のメンバーもなんとか集めることが出来ました。気仙沼から大島まではひまわり号をチャーターして、島巡りもお願いしてあります。大島の仮設住宅は昨年に比べて大分人数が少なくなっているとのことです。それだけ復興が進んでいるのだとしたら喜ばしいことですね。何人位来てくださるかわかりませんが、心を込めて思いを届けてきたいと思っています。

先日、舞音楽事務所の本田所長が、新井さんの紹介で南相馬のボランテイアセンターに行ってきました。南相馬の方はまだまだ復興が進んでいなくて、何千人もの方たちが仮設住宅におられるとのことです。センターの担当者自身被災された方で、私達の取り組みを大変喜んでくださったそうです。仮設住宅に同行してくださって、会長さんを紹介していただくことが出来ました。会長さん自身作詞をされてCDを作ったりされたそうです。

今の私のスケジュールから考えると9月に伺うことになるかもしれません。純粋にソングセラピーができるような気がしています。

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2014年4月20日(日)

お花見シーズン

今年は幸運にも2回のお花見を堪能することが出来ました。

1回目は4月7日、支援の会会長である山浦さんが監査役をされている会社、ディア・ライフさんが毎年催されているお花見会です。昨年に続いて参加させていただきました。北の丸公園に広々と陣取って夜桜を楽しむ会です。

お花見
北の丸公園の三日月(拡大できます)

仲間たち数人で6時過ぎに行って、勧められた場所に座りました。私のコンサートにも何度か来てくださった女子社員の方たちが、お酒やお料理を運んできてくださいました。皆さんとても感じがよく美人で、山浦さんご自慢の女子社員たちです。そこへ社長さんが回って来られて、「ここが一番いい場所なんですよ」とおっしゃって上を指されました。私たちも見上げてみると、なんと桜の合間から見える空にちょうど三日月が浮かんでいたのです。あまりに風情のある情景にみんな感嘆の声をあげました。写真では月がぼやけて写っていますが、くっきりとした三日月でした。

2回目は支援の会の会計事務を担当してくださっている近藤さんのお誘いで、秩父市羊山公園観桜会に初めて参加させていただきました。事前の近藤さんの説明では、五野上さんという方が主催されて何年も続いている会で、30数人が集まり、すごいたくさんの素晴らしいお料理が出てくるということでした。何人かは私のコンサートに来てくださったり、支援の会に入ってくださっている方がおられるということでしたので、どんな会か良くわからないまま参加しました。

お花見
お花見
羊山公園観桜会(拡大できます)

西武秩父の駅前からタクシーで到着すると、そこは見渡す限り桜の景色でした。風が吹くと桜吹雪が舞います。月曜日なので他に宴会をしている人は見当たりません。満開の桜の下に広々とゴザが敷かれ、五野上さんのお仲間の奥様たちが作られたお料理がたくさん並べられました。五野上さんが私のところに来られて、「歌っていただけますか」と聞かれました。事前に近藤さんがギターを持って来られるか聞いたとき、そんな仕事みたいなのは嫌だと思って、もし歌うのならアカペラで歌うと言ってありました。まさかこんな正式に紹介されて歌うことになるとは想像していませんでしたから、近藤さんが言っていた訳がその時わかりました。でも、アカペラは得意なのでそのほうが返って良かったかもしれません。「さくらさくら」と「江戸の子守唄」を歌うことにして、皆さんにご挨拶をして「さくらさくら」を歌いだしました。この歌は当然知っているつもりで、「さーくーらー、さーくーらー」と朗々と歌いだしました。その時、「あれ?次はなんだったかな」と一瞬思ったものの、「やーよーいーのー」とすぐ出てきました。終わってたくさんの拍手をいただき、あとはお得意の「江戸の子守唄」を3番まで歌い、皆さんにとても喜んで頂くことが出来ました。それでもなんだか「霞か雲か」を歌わなかったような気がしてあとで仲間に聞いたらやはり抜かしていたそうです。皆さんきっと気がついたことでしょうね。過信は禁物です。

集まった皆さんはいろいろなジャンルでご活躍されている方たちでした。昭和の語り部として本を書かれている御年90歳の中島茂先生、舞踊家の先生、元ボクサーの方など多彩な業種の方々です。なかでも驚いたのは、お相撲の若秩父関がおられたことです。子供の頃、塩を天井に向けてたくさん撒いていたお相撲さんとしてよく覚えています。今は常盤山親方で、とても優しい方でした。皆さんに「親方、親方」と呼ばれて慕われているご様子でした。

いろんな方たちと交流ができて、とても楽しいひとときを過ごさせていただきました。

山浦さん、近藤さんに感謝です!

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2014年4月2日(水)

「石川啄木を歌う、詠う。」を終えて

3月26、27日に「石川啄木を歌う、詠う。」の公演をしました。

俳優の冨田祐一さんの語りと、私の歌とギターのコラボレーションです。皆さまからたくさんの賞賛のお言葉をいただき、頑張った甲斐があったという達成感を感じているところです。

石川啄木を歌う、詠う

オープニングでオリジナルの「万華鏡」を歌いましたが、背景に万華鏡のスライドを映しました。

万華鏡製作者の羽石御夫妻から提供していただい何枚かの写真を、アートディレクターの三納さんが、歌に合わせてだんだん大きくしたり、小さくしたり回したりと加工してくださったので、私が思い描いた宇宙感がしっかり伝わりました。最後は「永遠の啄木」という今回のために作った歌を歌いました。

宇宙の彼方から啄木が見守っていてくれたという設定を考えたので、背景に再び万華鏡と、啄木の写真を映しました。私たちが抱えている悩みや苦しみも宇宙的観点で考えればほんの一瞬の出来事だということ、だからめげずに頑張ろうということを私は一番伝えたかったのです。

冨田さんは、啄木が生きた時代と今の時代が似てきているので、自由にものを言えることを大事にしなければ、ということに力を注いでいたと思います。

石川啄木を歌う、詠う 石川啄木を歌う、詠う 石川啄木を歌う、詠う 石川啄木を歌う、詠う
当日のステージから(拡大できます)

1月は風邪で高熱を出しましたが、冨田さんからいただいた台本を見ながら、挿入歌を選んだり作曲をしたりしていました。実際に富田さんと一緒のお稽古に入ったのは1月31日からでした。本番まで11回、一緒の練習をしましたが、途中で台本もあちこち修正したり、私も歌い方など試行錯誤をしながらで、あと1ヶ月練習したかったなと、お互い思いながら本番を迎えました。私があんなひどい風邪をひかなかったらもう少し早くお稽古に入ることができたのにと、申し訳ない気持ちでした。でも冨田さんも風邪と膝を痛めて、2回出来なかったこともあります。そんな時は、ふたりがそろって無事に本番を迎えることが出来るのかと不安になったりもしました。

ふたりとも、直前までいろんな問題点を抱えながら本番になりました。でも冨田さんはすごい、と思ったのは、練習の時よりも本番はバッチリ決めたことです。さすが大ベテランです。私の方は初日があまり声の調子が良くなかったのがちょっと心残りですが、2日目は自分としては良い出来だったと思います。啄木の生涯はどうしても暗く重くなりがちなので、歌でバランスを取れるように工夫しました。「アベマリア」がとても好評でした。

この企画は、お互い他の人とは考えられない企画でした。私は冨田さんの語りが好きでそのイメージで作曲がすぐ出来たし、冨田さんも最初から私の歌を取り入れることで企画されて、他の音楽屋さんとは違うという表現をされていました。

冨田さんの俳優仲間の方たちが照明、音響、舞台監督などで協力してくださいました。これで終わってしまうのはあまりにももったいない気がしていて、もっと多くの人たちに見ていただける機会があればと願っているところです。

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2014年3月11日(火)

3.11に寄せて

今日は3月11日、震災からちょうど3年経ちましたね。復興が予想外に進まないなか、被災された方たちも心が疲れ果ててしまっているのではと心配です。

私が少しでも心の支援のお役に立てればという強い思いを抱いたことに対して、昨年「枝璃貴子のボランテイア活動を支援する会」を立ち上げていただき、2月で1年経ちました。役員の方たちが決算報告等きちんとした活動内容の報告書を作ってくださって、会員の方たちに継続のお願いの封書を出してくださいました。今継続の申し込みハガキが届き始めていますが、私の活動に対する応援メッセージや、役員の方々に対する労いのコメントが書き添えられていて大変に嬉しく、尚一層頑張って続けていこうと思っているところです。

先日、昨年気仙沼に行った時に宿泊した大島の「アインスくりこ」のご主人白旗さんから、「大島の初芽刈り天然メカブ」が大量に送られてきたのでびっくりしました。大島は日本一おいしいメカブが育つところで、寒い時期に獲れた最上品のメカブだそうです。私はそのようなメカブは初めてで、大変美味しくいただきました。そして生徒さんたちにもお分けして喜んでいただきました。

3月26日、27日に「石川啄木を歌う、詠う」という公演があります。そのプログラムに、どうして啄木のコンサートをするのか私の思いを書いたほうがいいと言われて、昨日書いたので、その内容を一足お先に紹介します。

「私が初めて啄木の本を読んだのは高校生の時です。小学校低学年の時と、中学3年の時に父が事業に失敗しました。でも父はどんな境遇のなかでもクラシックギターを教えていましたから、周囲からはギターの先生の娘として、恵まれたイメージを持たれていたと思います。実際には両親は仕事に必死で、ほとんど家にいることがなく、夜遅くまで一人で過ごす日も度々ありました。高校生なのに啄木の詩に共感したのも、知らず知らず抱えていった孤独感によるものだったかもしれません。

それから何十年か経ったある日、テレビで啄木生誕百年の記念番組を偶然見たのです。その頃の私は八歳の一人娘を亡くして間もない時期で、啄木も子供を亡くしていることを知っていたので興味深く見ました。そこであらためて啄木の境遇が自分と共通点が多いことを感じました。両親はその頃すでに故郷を引き払って上京し、私と一緒に暮らしていましたから、故郷はもうなくなったと思いました。その両親もすでにそれぞれ病気で旅立ちました。私自身の音楽活動も含めて度重なる挫折感、喪失感を味わったせいか、啄木の詩はまるで自分のことのように感じます。

なぜ今啄木を取り上げるかと問われれば、私自身が啄木という存在に力をもらって生きてくることができたからです。生きていくのが辛くなったとき、啄木も辛い人生を頑張って生きたのだからと、いつも思いました。そして、信じる道を一途に生きていれば、たとえ生きているうちに評価されなかったとしても、その人生はとても価値のある輝かしいものであるという考えにたどりついたからです。

もし今、悩み苦しみを抱えている人がこの公演を見て、生きることの意味や勇気を感じていただければ幸いに思います。」

これは、不特定多数の人に読まれるものなので、最小限に抑えて書いていますが、実態はもっと波乱万丈な人生を送ってきまし た。でも自分の苦労を知ってもらうことが目的ではなく、それだからこそ苦しい思いをしている人のことが、自分のことのように感じられるということを伝えたいのです。自分の人生経験を最大限に生かしたソングセラピーをしたいと切に思います。今日NHKで、女子高校生が震災の経験を伝える語り部になっているドキュメントを見ましたが、体験を通した語りはとても説得力を感じました。

なんとしても、被災地にソングセラピーができる場を作りたいと願っています。

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2014年3月1日(土)

アーティストはアスリート?

ソチオリンピックも終わり、いろんなドラマが生まれましたね。特に浅田真央ちゃんは記憶に残ります。演奏活動をしていると、スポーツ競技を観ながら共感することがいろいろあります。

クラシックギター弾き語りは傍で見ているよりかなり難しいものです。ギターの難しい箇所に不安を持ちながらステージに立つと、必ずと言っていいほど失敗します。不安ではなかった箇所までどういうわけか間違えることもあります。歌い始めの第一声が、思う以上に調子が悪い場合もあります。そのような時、如何に早く気持ちを切り替えて強い気持ちでコンサートを続けられるかということになります。 活動を始めた頃は自滅していましたが、今はなんとか乗り越えられるようになっています。

レジェンドと騒がれた葛西選手も、思いの強さが肉体の衰えを克服できるところを示してくれたのではないでしょうか。私も演奏活動を始めて来年が25年目にあたります。以前はなにも身体のトレーニングなどしなくても演奏活動に支障をきたすようなことはなかったのですが、この頃は身体のトレーニングなくして、演奏活動は続けてゆけないとわかってきました。

今日もスポーツジムで頑張ってきたところです。スポーツ嫌いだった私がスポーツジムに通うハメになるとは夢にも思っていませんでした。数年前に近所にスポーツジムが出来て、郵便受けに3ヶ月無料体験のパンフレットが入っていました。ちょうど痛いところがあって悩んでいた時だったので、思い切って行ってみることにしました。スポーツジムの会員になるなんてお金持ちのすることかと思っていたら、ウイークデイ会員やデイ会員などいろんな種類があって、それだと月7〜8千円だったので会員になりました。でもなかなか行ける時間がなくて、週一回行けたら体調が良くなるのですが行けないことが多い状況です。

トレーニングルームはいつも自由に使えます。ヨーガなどのスタジオレッスンは曜日が決まっていますが、すべて無料で受けられます。私はヨーガのある木曜日か土曜日に行くようにしています。

ジムに行ったらどんなことをしているかご紹介しましょう。インストラクターが作ってくれたメニューです。まずトレーニングルームに行ったらすぐエアロバイク(自転車こぎ)5分で身体を温めます。次にビデオを見ながら18分ほどストレッチ体操をします。それから筋トレとして、マシーンを使ってウエイトトレーニングをします。病気の前までは9種類でしたが、病気後は減らして今は7種類までになりました。前脚、裏脚、背筋、胸筋、腹筋、腕、脇腹のマシーンで、10回を2セットずつ行います。それからヨーガが1時間、最後に有酸素運動として再びエアロバイクを20分、その後ストレッチ体操を18分で終わります。3時間近くかかるので、時間がないときはなにか省略しています。インストラクターの方たちはとても親切でよく声をかけてくれてフォームなど直してくれるので、フォームだけは褒められています。今周りで、膝や腰が痛い人が続出していますが、悲観しないで筋トレなどで改善できると希望を持っていただきたいと経験上切に思います。

琵琶の弾き語りの舩水京子さんが昨年12月に腰を圧迫骨折して全治6ヶ月と言われましたが、先日演奏してきたそうです。86歳の舩水さんが3ヶ月で復帰しました。最初の頃はものすごい痛みだったようですが、声が出なくなると大変だと思って、家族や近所迷惑にならないよう毎晩お風呂場のお湯を出しながら大声で歌っていたそうです。

なにしろアーティストも根性で頑張らなくてはいけないのです。

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2014年2月16日(日)

オリンピック男子フィギュアスケート

羽生結弦選手、金メダルのニュースが日本中を駆け巡りました。アジア人初の金メダルだそうですね。長い間アジア人はフィギュアスケートがダメだと思われ続けていたそうですが、まずは前回バンクーバーで高橋大輔選手が日本男子初のメダル獲得、そして今回の快挙、両方の歴史的瞬間を見ることが出来てラッキーです。特に羽生選手は被災して避難所で過ごし、東北が元気になることを願って頑張ったので、その金メダルの価値はとてつもなく大きいと言えます。

テレビのドキュメント番組で、羽生選手がお肉屋さんかなんかで買い物をしたら、お店のおじさんが

「東北のために頑張るなんて言わなくていいんだよ。自分のために頑張れば、それがみんなに元気を与えるんだから」と言っていました。羽生選手は「優しいね」と言っていました。よく街頭インタビューなどを見て思うんですが、政治家や著名人より、お店屋さんや、農家のおじいさん、おばあさん、一般庶民の人たちのほうが、よっぽど深い真実を含んだ言葉を発していることが多いと思います。

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大好きな高橋大輔選手は6位でしたが、とても感動しました。フリーはビートルズの曲で、正直私はあまりビートルズが好きではないので、もっといい曲はなかったのかな、と思っていました。ところが、選手としての集大成として臨んだ高橋選手の演技が始まる瞬間の顔が映し出されたとき、俗世の垢すべてが落ちたような清々しい顔で、イエスタデイの曲にのって滑り出したとき、瞬間的にその思いが伝わってきて早くも目頭が熱くなりました。これまでのスケート人生を見守ってくれたすべての人々への感謝の思いを込めているようでした。大きな足の怪我を乗り越えて、再び2ヶ月前の足の怪我が治りきれない状態での演技でした。録画していたので、点数も詳しく見ました。思うような練習ができなかった分、技術点がいつもよりすごく低かったのですが、演技構成点は、銀メダルのパトリック・チャンが92.70、高橋91.00、羽生90.98で、2位でした。他の選手で90点台はいません。メダルは取れなかったけれど、大輔ファンはみんな納得したのではないでしょうか。

若い頃ガラスのハートと言われた高橋選手は今でも決して心は強くはなかったと思います。

いろんなエピソードを聞いてそう思います。怪我を克服できたのも、自分の弱さに負けたくないから、粘り勝ったのでしょう。ハングリーさがないと、怒られたりもしたようです。そういうことを全部含めた人間味が演技にも表れて、みんなに愛されたのだと思います。

それは、「欲がない子だ」と子供の頃から怒られて、いつも心の弱さと闘っている私だからこそ感じられたことかもしれません。その私の奮闘ぶりについては、長くなるので次回に書くことにします。

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2014年2月1日(土)

被災地支援の皆さんと新年会

先月28日、これまで被災地支援のためにご協力いただいている皆さんと新年会をしました。全部で8人です。初めて気仙沼を紹介していただいてから、1年3ヶ月ですが、その間私のコンサートなどに来ていただいたり、何度か打ち合わせをしてきています。

そのせいか、もうずーっと前から知りあいだったような感覚で、今年初めての顔合わせでしたが、皆さん満面の笑顔でした。今年5月17、18日に気仙沼行きが決まっていて、新たに南相馬を紹介していただき、そのお話を伺ったりしました。そして3月の「啄木を歌う・詠う」のことも応援していただけないかと思い、チラシ、チケットを持参しましたが、皆さん驚く程に協力的で、チケットも預かってくださったので、ほんとに嬉しく有り難いことでした。

早くも2月に入りました。冨田さんから数回に渡って啄木公演の台本が送られてきていましたが、その都度内容が変わっていますから、早く打ち合わせをしなければと、お互いに焦りはじめていました。ようやく昨日、打ち合わせを兼ねて練習をすることが出来ました。冨田さんの方では、私が何を歌うか、それがどんな歌か聴かないと先に進めない状況であったし、私の方は挿入歌を新たに作ったり練習したりで時間を取られ、その上台本の内容に対して私なりの考えを伝える必要もありました。そんな状況で、2時頃から台本に沿って私が準備した歌を挿入しながら、冨田さんが語りを始めました。その結果、挿入歌は12曲全部OKになり、私が台本の内容に提案したことも富田さんが次回まで、書き直してくることになりました。挿入歌は新しく作った歌2曲を含め、オリジナル7曲と既成の歌5曲です。語りの合間に歌ってみると、歌の内容がとても浮かびあがってきて、かなり面白くなると実感することが出来ました。冨田さんの語りも、台本の字で見ていたよりずっと心に入ってきました。終わったのが6時近くになったので手が疲れ、アイシングをして湿布を貼りました。今月は週1回ふたりで練習をします。3月に入ったら、演出家や舞台面、その他の協力者の方々と一緒に総合的な練習に入らなければなりません。あっという間です。

遅まきながらエンジンがかかってきました。

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2014年1月15日(木)

江ノ島神社の弁財天

新年が明けて初めてのWEB日記になります。どうしてこんなに遅くなったかというと、新年早々言いたくありませんでしたが、5日に風邪で高熱を出して1週間位具合が悪く、ようやく活動意欲が湧いてきたところです。この1年間自然治癒力を高める指導をしていただいてきた先生から、39度8分の熱が出たということは、すごく健康になっている証拠だと言っていただき、気を取り直しているところです。今までは平熱も35度台で、熱も38度位が最高だったのですが、40度近い熱が出るということは闘う力が出てきたということだそうです。それを信じて、今年も頑張りたいと思います。

4日は江ノ島の弁財天にお参りに行きました。3年前に女優の松風はるみさんから連れて行っていただき、すっかり気に入ってしまった弁財天さまです。なにしろ琵琶を持っていて芸事の神様でもあるので、弁財天には以前から興味をもっていましたが、江ノ島の弁財天の美しさには心を奪われました。4日から咳が出始めていて、腰や背中が痛かったのですが、根性で水族館まで見物して帰ってきました。翌日高熱ですから、去年からひいていた風邪の毒を出し切る意味があったのかもしれません。

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江ノ島の弁財天     私の描いた弁財天

私は絵は描かないのですが、10数年前に母の7回忌に頑張って観音様を描いたことがあります。中学以来使ったことのない水彩で、仏画のお手本を見ながら半日で描きあげました。それが殊のほか上手くいき気をよくして、強風のなかでも静かに凛として歌っている弁財天を描いたことがあります。わたしの心象風景であり、私の理想像です。それ以来絵は描いていません。

いつか時間的にも精神的にも余裕ができたら、もっときちんと取りくんでみたいような気もします。

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